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実はこの映画に出かけるまで、要らぬ心配をしていた。レイトショーで観たのだが、前日4時間くらいしか寝ていなかったので、映画の途中で寝ないだろうかと…。まったくの取り越し苦労。別にミニシアターで座席が狭かったからではなく、この映画を観て寝るなんてこと、絶対にできない。それくらい、事実は重く、残酷で、鬼気迫るモノがある。

ところで私は10日くらい前だろうか、「白バラの祈り」 も観ている。はからずも重い映画ばかり続く。比べてはいけないし、比べられるものでもないけれど、それでも私はゾフィーよりホテル・ルワンダの主人公ポールに強く共感する。実際に人の命を救うことの重みに、何も代えられないような気がしてしまう。比べてはいけないといえば、この主人公を「アフリカのシンドラー」 とか「杉原千畝」 になぞることもあるが、それもどうなのだろう。結局私たちにとって、アフリカは遠い国なのだ。だから少しでも身近なものに投影したくなる。そうすることで実感を深めようとするのだ。


『ホテル・ルワンダ』  テリー・ジョージ監督 ドン・チードル主演


この映画の舞台は、ほんの10年くらい前のルワンダ。私たちが既にパソコンだ、ケータイだ、と言い始めていた時代に、ルワンダでは民族間の大虐殺がおき、わずかな期間に罪のない人が100万人も殺された。それでも世界のどの国もまともに声をあげず、国連すら駐留はしても、手を出しあぐねていた。その時に対立する民族の妻を持つ4つ星ホテルの支配人のポールが、家族を救いたいという気持ちを起点にして、行き場のない人々をホテルにかくまい始めた。結果として、1,200人もの人を救うことに成功した、そのプロセスが描かれている。

直接的な原因は同民族の対立だが、根底にあるのは黒人に対する根強く深い差別だ。私たち日本人には理解しきれない背景がある。また、日本人は歴史的にアフリカとは、地理的な遠さもさることながらあまり縁がなかった。同じ遠くでもブラジルとは決定的に違う。だから黒人差別というのは、日本人には希薄だろう。だからどうしても感情移入しきれない部分が残る。ましてや現代社会において、説得力のない理由での内戦ということ自体が身近ではない。

でも私たちは勘違いしている。偶然、この時代に、この比較的平和な国に生まれ、大した苦労なく、文明を謳歌していることが、むしろ奇跡なのだ。こういう映画を観ると、そのことを思い知る。命が自分のものでなく、健康であっても生き続けることを自分で選べない人が、本当にたくさんいるということも。

映画の中で「我々はニグロにすらなれない」という台詞が出てきた。どんな時代も、社会も、人は人の上にも下にも人をつくる。同じ黒人の中すら、細かく分かれてしまう。

この物語の数少ない救いは、ホテルのオーナーがポールに理解があり、わずかながらでもポールを救ったことだろう。また、何人かの外国人が個人的とはいえ、手を差しのべようとし、それが国際社会をわずかでも動かしたことだ。ポールの勇気とともに、個人の中にある良心のありようも尊く、意味深いものだと思う。

映画そのもののも素晴らしかったが、そういうことを抜きしても、こういう映画はもっと多くの人が観られるように上映してほしいと思う。遠いアフリカを少しでも近づけるために、歪んだ形のナショナリズムのようなものにとらわれないためにも。

サントラ, アフロ・ケルト・サウンド・システム, ドロシー・ムニアネザ, ベン・ムニアネザ, ワイクリフ・ジーン, ルパート・グレッソン, ウィリアムス, デボラ・コックス, イヴォンヌ・チャカ・チャカ
ホテル・ルワンダ