中島美嘉
見えない星

日本テレビで1月10日(水)22:00から始まった『ハケンの品格』 を観ました。


こんな素材、ドラマになるのか?と番宣では半信半疑でしたが、キャラの濃さがリアルすぎる素材をうまく料理していて、単純に面白かったです。スポンサーに派遣会社が2社くらいついていたのは、ご愛嬌ということで。


通称スーパー派遣、時給3,000円の大前春子(篠原涼子)が大手食品会社にやってきます。就業時間キッカリしか働かない。飲みに行くなどの付き合い、部署以外の仕事、一切しない、いわゆるコミュニケーション能力はない、など、扱いづらいがパソコンは速い、お茶はうまく入れる、とにかく仕事と割り切ってやることについては超優秀で、直接事務職と関係ない資格もたくさん持っているというキャラです。彼女が今時いるのかってくらい、古臭いタイプの隣の課の東海林主任(大泉洋)、仕事はいまいちっぽいが気が小さく優しい直接の上司・里中(小泉孝太郎)などと関わっていくというのが、初回の展開。


リアルな素材だけに実際は突っ込みどころ満載。大前春子のオフィスでの仕事の能力は、まあこういう人もいるわな、という感じですが、西村知美じゃあるまいし、そんなに資格(フォークリフトとか)をとる暇があるなら、もう少し自分を活かせる働き方があるでしょう。里中のような社員はいるだろうが、30歳そこそこで東海林のような社員(派遣にやきそばパンを買いに行かせたり)、あまりいないよな…とか。そもそも入社当時の正社員中心の家族主義的な会社を懐かしんで、派遣を毛嫌いしているような台詞が出てきたけど、30歳だとしたら長くて社歴10年くらい。その時代、既に派遣社員がうじゃうじゃいたと思いますが…。リストラだって始まっていたし、本人だって氷河期入社では?最初にデータ的なことを出していたわりには設定がやや甘め。


でもまあ、篠原涼子が今回は結構はまり役かも。というか、篠原涼子をあてて書かれているような気も。東海林役も少し古臭い匂いのする大泉洋だから許せる部分も大きい。あと、突っ込みどころに目を潰れるのは、展開が結構面白いから。設定の現実性とドラマらしい非現実性(いきなりフォークリフトに乗った主人公が現れるとか)のバランスもいい感じです。


最近日テレの水曜日のこの枠、好きなドラマが多いです。ドラマはフジテレビのように言われていますが、最近のフジテレビのドラマって、どうも印象が薄い。月9の『東京タワー』 もちょっとだけ観たけど、速水もこみちを主役したことからして、もう結構という感じだった。2話目からは観ないと思う。そもそも『東京タワー』、2時間ドラマだけの映像化で十分だと思います。この時も大泉洋、結構はまっていました。リリーフランキー役は、せいぜい大泉洋くらいでしょう(バカにしているわけではなく、はまり役だったし、そもそも大泉洋は良い役者さんだと思います)。映画化も要りません。二匹目、三匹目のドジョウを狙うほどの話ではないと感じるのは私だけでしょうか。

suini
楽しみにしていました。何しろ好きな市村正親さんと、一度は観てみたかった天才的な女優大竹しのぶさん、なんとなく好きな宮本亜門さん演出と、豪華なコラボレーション。これだけでも食指が動きますが、実話に基づいたホラーのような話。私はホラーは嫌いですが、この実話というのが大事。本当のことというだけで、急に観たくなります。ただ、実際は実話らしいというだけで、どうもはっきりしません。理髪師が復讐心から人を殺すところまでは理解できても、人肉のパイを本当に売っていたのだとしたらそれは凄すぎます。19世紀ってそんなに昔ではないだけに、かなり理解を超えています。


楽しみにしていたわりに、半年くらい前からチケットをとっていたので、年が明けてちょっと忘れかけていました。芝居やコンサートを観に行くのは本当に大変です。


『スウィーニー・トッド』  宮本亜門演出 市村正親/大竹しのぶ主演 於:日生劇場


舞台は19世紀のロンドン。好色なタービン判事(立川三貴)に妻に横恋慕され、無実の罪でシドニーに島流しにされた床屋・スウィーニー・トッド(市村正親)は、15年ぶりに脱獄。ロンドンに戻ってくる。ところが妻は自殺したと噂され、当時小さかった娘ジョアンナ(ソニン)は、当のタービンに軟禁されている。すっかり様相を変えていた街だが、唯一当時の床屋の1階にあったパイ屋は健在。女主人のミセス・ラヴェット(大竹しのぶ)は変わらずパイを焼いていた。しかし肉が高くて買えず、そのパイはロンドン一まずいと評判で客はさっぱり入っていない。再び2階でタービンとその片腕の小役人に復讐するために、ラヴェットの助けで店を始めるトッド。その復讐とは、床屋に客として彼らをおびき寄せ、彼らを刺殺すること…。ところが彼の過去を疑う人たちが次々と現れ、ターゲットの2人を殺す前に、多くの連続殺人を犯してしまう。死体の処理に困ったトッドとラヴェットは、その人肉をひき、パイの肉とすることを思いつく。その肉はおいしく、もともと腕は良かった床屋だけでなく、パイ屋も大評判になる。怪しげな脇役は、浮浪者の女。この女は二人の秘密を知っている風だが、常にラヴェットが施しをせずに追い返す。実はこの浮浪者が何者かはすぐにわかるが、ここにはこれ以上は書かないけど…。


ストーリーは決して難しくないのですが、第一幕、特に冒頭から群集役の人たちがよく歌うので、ストーリーをわかりにくくしています。台詞に曲をつけると、ソロでもわかりにくいことがありますが、多人数だとどんどんわからなくなります。無理にミュージカルらしい華やかさを演出する必要はなかったのでは?と思います。ただ、確かに全体に暗い話なので、途中少し眠気が襲うことも確か。そのために華を添えたのでしょうが、少人数でじっくり演じる場面の方が引き込まれて、眠気を覚ましました。


ところで大竹しのぶさん。怪演です。正直ミュージカル俳優である市村正親さんがかすむほどです。彼女はやはり凄い。この芝居はミュージカルであることを殊更意識して演じない方が良いのかもしれません。そしていつも意外にうまいと思うのが武田真治さん。今回も脇役だけれどキーパーソンを見事に演じきっていました。ずっと誰だかもわかりませんでした。小役人役の斎藤暁は出てきた瞬間から、誰かわかりましたが、この人は舞台ではいまいちだな、と思いました。滑舌が良くないのか、ちょっと台詞がわかりにくい。映像向きなのかもしれません。

thankyou
日比谷でやっていた時から観たかったのですが、忙しくて思い叶わず、渋谷で年末から公開すると聞き、新年早々行ってきました。場内はガラガラ。ゆったり観られて、ちょっと得したかも。水曜日で1,000円だったし。でも1,800円出すほどでもないかも。


『サンキュー・スモーキング』  ジェイソン・ライトマン監督 アーロン・エッカート主演


今、世界的に嫌われモノ、特にアメリカではボロボロなタバコをPRするニック・ネイラー(アーロン・エッカート)の奮闘を描く。その話術のすごさがこの映画の中心だが、少なくとも英語が理解でき、できればアメリカ人のユーモアセンスや文化がわかってこそ、笑えるのかも。残念ながら私は笑えず、むしろ職業人としてのニックの悲哀さえ感じました。

しかし出張に別れた奥さんとの間の子どもを連れまわすところは悲哀というより、設定がアメリカ的で笑えました。また、この子どもがしっかり父親の影響を受けていて、すごい交渉術でディベートコンテストでも優勝します。なかなかいい親子関係だけど、やや映画的ファンタジーかなと。


全体的には悪くはなかったのだけど、その後すぐに「硫黄島からの手紙」を観てしまったので、何だか薄れてしまい、よく覚えていないのです。でもニックが息子と共に、出張ついでにタバコのために病気になったと訴訟を起こしている男を訪ねるシーンはなかかなおもしろかった。大金を前にしたときの人間の心理を絶品のユーモアを交えてうまく描かれているのです。この作品のストーリーをつくっている女性ジャーナリストの裏切りは、ちょっと陳腐でがっかりだっただけに、余計何気ないこの買収シーンが心に残りました。


iouzima
ようやく観てきました。『父親たちの星条旗』は観ていませんが、ぜひこちらを観てみたいと思いました。

『硫黄島からの手紙』は、いわずと知れたクリント・イーストウッド監督の「硫黄島2部作」の日本側からの視点の作品で、日本では圧倒的にこちらの方が観られているようです(興行期間も長いですし)。でも勝者の視点というのも非常に重要だと、こちらを先に観たからこそ思いました。

ただ一つ言えることは、この映画は日本人では撮れないでしょう。欲を言えばこの作品はアメリカ人が撮り、『父親たちの星条旗』を日本人が撮って、どちらも秀作と言われたとき、本当に両国の関係は成熟したと言えるのでしょうが、それもまた現時点では不可能でしょう。『硫黄島からの手紙』は、アメリカ人が撮ったからこそ価値があり、また素直に感動できる。今回は作品としての素晴らしさもありますが、まずは企画がよくできていると思います。


『硫黄島からの手紙』  クリント・イーストウッド監督 渡辺謙/二宮和也主演


内容はもはや観ていない人にも周知でしょう。太平洋戦争末期に硫黄島を舞台に繰り広げられた36日間に及ぶ激しい戦闘が描かれています。本来兵力の違いから5日程度で終わるとされていたこの戦いに奇策をもって戦い抜かせたのは、当時の日本軍人としては稀な経歴の持ち主であるアメリカ留学経験のある栗林中将(渡辺謙)と、その良き理解者として支えた西中佐(伊原剛志)でした。この西中佐もまた、オリンピック選手として渡米経験があり、英語を話せる国際人。このストーリーは、彼らと身重の妻を残してきた元パン職人の若い兵士・西郷(二宮和也)の家族に送った手紙を軸に描かれるが、手紙は重要なモチーフではあるが、必ずしも必要ではありません。重要なのは日米の兵士ともに家族を気遣い、また気遣われながら、それでも国のために戦い抜いた戦争の事実です。

だから戦争はいけない、悲惨だ、やめようというのは、簡単だけれど、今なお人は世界で戦っています。私は必ずしも人にとってもっとも重要なものは家族だとは思いません。だからといって戦争賛美者ではないが、家族、愛する者だけが、戦争を抑止したり、戦争の悲惨さを伝えることのできるギミックにはなり得ないのです。

例えば9.11のテロの時も、家族の悲しみが大きくとり上げられたが、だからといってアメリカや各国は戦争をやめなかった。むしろ戦う原動力になっていたように思います。

愛以外に何が戦争を止めることをできるのか、私たちはまだなおその答えにはたどりついていません。おそらくこの映画の後にも戦争映画はつくられるでしょうし、つくられるべきだとも思います。できれば日本人がこの映画を超える戦争を総括する映画を、国際的に通用する映画を撮る、そのことが敗戦国として、少なくとも60年以上戦争をしていない国としての役目なのかもしれません。だからこの映画は太平洋戦争を描いた映画の最高峰であってはいけない。でも少なくもと私がこれまで観た太平洋戦争を描いた映画の中では傑作でした。


uragiri
ずっと更新していなかったのは、忙しくてずっと劇場に行っていなかったからです。観たい映画は数あれど、DVDになるのを待とうといくつか出かけることを諦めた作品もありますが、この映画『あるいは裏切りという名の犬』だけは観たい!と大晦日の午前中の上映に出かけました。それでも満席。私は少しだけ早く出かけたので、どうにか整理券をGETしました。なぜこんな良い映画が単館なのでしょう。東京で唯一というだけでなく、日本中で銀座テアトルシネマだけみたいです(後日他の地域でも上映予定あり)。でも何とか観られ、今年のシネマライフを締めくくるには大満足な作品に出会えました。珍しく邦題まで洒落ています。


『あるいは裏切りという名の犬』  オリヴィエ・マルシャル監督 ダニエル・オートゥイユ/ジェラール・ドパルデュー主演


実話をもとにしているらしいのです。多少脚色しているにしても、こんな実話があるなんてすごい。そしてフランスの警察ってこんなにカッコよくて無茶苦茶なのでしょうか?ラスト近くにはドレスアップしてパーティを催すシーンまであります。冒頭ではエディという刑事の送別会で、プレゼントに警視庁のプレートを強奪したり、店をぐちゃぐちゃにするシーンも出てきます。あり得ません。


まあ、それはともかくストーリーと人物描写は秀逸です。何よりも中年男たちがカッコイイ。やっぱり映画は登場人物がカッコよくなくてはダメですね。


パリの警視庁のレオ(ダニエル・オートゥイユ)は、現場主義のベテラン警視。そんな彼も彼を目にかける長官の出世により、次期長官が目前に迫る。けれどもあまり管理職には関心がない。一方、長年のレオのライバル・クラン(ジェラール・ドパルデュー)は、出世欲が旺盛で何とか認められようと模索する。そんな折、パリの警視庁の最大の課題は、連続現金輸送車強奪犯の検挙だ。この犯人を検挙すれば出世できるチャンスがあるが、この事件の指揮を長官は、レオに命じる。どうしても自らの手で検挙したいクランは、ゴリ押しでねじ込んでレオたちとともに現場に向かう。そこでクランはレオの指揮に逆らい、勇み足をしたことで、レオの親友であるエディが犯人に撃たれ死んでしまう。この件をきっかけに二人の争いは激化…。最初は追い詰められていたクランだが、最終的にはレオの決定的な弱みをつかみ、立場は完全に逆転する。


レオが主演、クランが悪役的な位置づけだけれども、必ずしもそんな浅はかな話ではありません。クランがレオに決定的なダメージを与えた密告は事実であり、道義的に責められるものではないはず。けれども同僚たちに絶大な人望があるレオとは対照的に、まったく人望がないクランは、結果的に精神的に追い詰められ、権力を振りかざすことでしか満たされない。そしてラストでは…。クランが必ずしも悪役というわけではないところがこの作品の肝だと思います。


でもこの作品が完璧かというと、そうでもない部分もあります。2時間弱に凝縮されすぎて、人間関係の隅々がわかりづらい。特に冒頭は内容を頭で整理するまで時間がかかりました。ラストもやや説明不足で納得しにくい。そもそもレオを尾行していて、逆につかまり、トランクに載せられた2人の刑事はどうなったのでしょうか?なぜ真っ先に疑われるはずのレオは無罪放免なのでしょう?


でもまあ、全体としてはシブくて深い大人の映画。ハリウッドでもリメイクされるそう。ハリウッドは自力で作品を創りだせなくなったのでしょうか?この映画の深みはフランス映画でこそ、成立するような気がしてならないのですが…。


kazino
これまであまりこういう映画は観に行かなかったのですが、「24-TWENTY FOR-」ですっかりアクション映画づいてしまいました。テレビドラマのほうは24時間近く観続けなければすっきりしませんが(観続けても次に余韻を残すのですっきりしない)、こちらは2時間強ですっきりできるなら、ラクチンです。

でも実は007シリーズと私の相性は最悪です。前シリーズのダイ・アナザー・デイはDVDを持っているのになぜか観ていない。観られないのです。DVDに問題があるのか、私に問題があるのかわかりません。かけてもかけても本編が始まらないDVD、私も初めてです。


『007/カジノ・ロワイヤル』  マーティン・キャンベル監督 ダニエル・クレイグ/エヴァ・グリーン主演


今回のシリーズは、ジェームズ・ボンドが殺しのライセンス「007」を持つ前から始まります。いきなり国際テロ組織を壊滅する初任務につくというのも、今っぽくもあり、「24-TWENTY FOR-」を彷彿させます(といっても、こちらがシリーズとしてはかなり先ですが)。もちろんボンドガールも出てきて、派手なアクションと、恋愛感情も描かれるのですが…。


でも私的には任務が中途半端だったような。テロ組織との対決といっても、所詮は資金源であるル・シッフルとのカジノ対決がメイン。最初と最後は派手なのに、核となるはずのモンテネグロのカジノシーンがやや退屈。ポーカーゲームのルールがよくわからないからかもしれませんが…。


ただ、ヒロインとの恋愛感情の動きは、なかなか良かったと思います。最後のどんでん返しはありがちだなぁ~と感じましたが、心がなかったわけではない、むしろジェームズ・ボンドを救ったという設定は泣かせます。しかしラスト近くのアクションシーンは、ここまでやるかというくらい、破壊的で、優雅でオシャレなカジノシーンとのギャップが凄まじかったです。


シリーズ最高傑作かどうかは、全部観ていませんので(というかほとんど観られずにいる)、まったくわかりませんが、気軽に楽しむには悪くない感じです。でも正直前評判から期待したほどには…とも思います。最近評論家がやたらめったらテレビや新聞で映画を褒めちぎっているような気がしますが、逆効果です。辛口で的確なほうが、観に行こうという気がしますし、観た後にがっかりすることもありません。

角川エンタテインメント
メゾン・ド・ヒミコ 通常版

邦画人気が洋画を超えたと言われています。実際に興行成績でも、邦画のシェアが50%を超えました。それはとてもいいことだと思うけれど、私的には2点だけネガティブな見方もしています。

一つは、テレビドラマとの境界線が曖昧になったことです。テレビドラマが悪いとは思いません。素晴らしい、あるいはおもしろいテレビドラマもあります。でもそれが映画になると、どうも深みに欠けるものが多いのです。商業的に作っていることがミエミエなのです。儲けなければ立ち行かないわけでそれもかまわないのですが、結局DVDで十分だと思えるものが多いです。

例えば「ゆれる」や「フラガール」のような良い映画は出てきません。


この『メゾン・ド・ヒミコ』 も一応日テレが絡んでいるのですが、日テレは比較的良い映画づくりをするアビリティがあるのか、わりといい映画でした。なんで今までDVDを借りなかったのだろうと、ちょっと不思議に思いました。


犬童一心監督、主演は決して個人的に好きではないのだけど、うまいなぁ~味があるなぁ~としみじみ思えるオダギリジョー。柴咲コウもいい役どころを演じています。何よりも脇がみんなイイ。


ストーリーはあるようなないような感じだけど、ドラマツルギーはしっかりしているように思います。だからやや2時間より長い尺ですが、飽きません。物語としては、母親と自分を捨てた父親がオーナー(実際は出資者が別にいるのですが)のメゾン・ド・ヒミコというゲイだけが入居する老人ホームに、春彦(オダギリジョー)という若い男性の要請でアルバイトに行く沙織(柴咲コウ)。毛嫌いしていた場所でなぜアルバイトするかという理由が母親の医療費のための借金返済っていうのは、ややベタでお粗末な感じがしたけれど、まあそれはともかく、余命いくばくもない父親(田中泯)と再会するわけです。そこから父親や春彦に反発しながら、ゲイを軽蔑しながらも、少しずつ理解を示していく、という流れもありふれています。


でも描写が素晴らしい。そして理解しそうで完全に理解しない、結局父親の死に目にも会わず、春彦と男と女の関係になることもない(なりそうにはなるが)というところがリアルで、安直な感じがしない。ところどころに爆笑ではないレベルのユーモアもあって、基本的には静かだけど眠くならない作品でした。


しかしゲイも確かに歳をとるわけで、現実でもこういうことって、今後あるのかもしれません。というか、こういうケアハウスは必要かもしれませんね。いや、ゲイじゃなくても、非婚の天涯孤独の単身者は増え続けるのです。

hura

ずっと観たかったのですが、ようやく。よくやっている映画館があったなぁ~という感じです。

でも正直DVDでもいいかな、と思っていたんです。でも観てよかったです。期待以上でした。

最近観た邦画の中では、№2の内容といったところ。ちなみに№1は「ゆれる」です。これはそう簡単に超えそうにありません。

「フラガール」 何がそんなに良かったかと言われると何でしょうね。

昭和40年頃を書きながら、変に郷愁を誘うようなことは一切なく、実話に基づきながらも実話にありがちなじめっとした辛気臭さはない。しっかりとエンターテインメントを創り上げていることでしょう。事実と虚構の狭間、でも嘘くさくなくちょっと事実寄りという立ち位置を見事に映像化しています。傾きゆく炭鉱町の厳しさを描きながら、そこに生きる人は優しすぎることなく冷たすぎることもなく、賢すぎることもないけれどバカでもない。その匙加減がリアリティを醸し出し、登場人物を生かしている。だから泣けたのです。


『フラガール』  李相日監督 松雪泰子/豊川悦司/蒼井優主演


旧常盤ハワイアンセンターの話です。今は名称が変わっていますが、この手の施設がどんどん潰れる中、堅調な業績を残している類稀な施設です。この施設はもともと炭鉱町だったいわきの町おこしのために造られました。その時代、炭鉱夫の娘が妻がリストラされる父親や夫のため、つまりは家計を支えるために、フラガールになっていく話です。その中で当然古い価値観に縛られている人たちとの対立があります。でも元炭鉱夫でありながら、新たなものに果敢に挑戦しようとしている男たちもいます。当然対立が生まれます。どっちが正しく、どっちが悪いわけではない。今だからこそ、炭鉱はもうダメなのにと言えますが、当時の炭鉱夫たちには誇りがあり、そう簡単に新たなものを受け入れることはできません。ましてや情報量も少ない時代の東北の田舎町のこと、なおさらです。でもこうした葛藤は十分今の時代にも通じることです。


この映画を観て感じたのは、今の時代の、とりわけ都市部の風潮は、贅沢な環境で最高の教育を受けさせ、いじめや虐待など、人と人との軋轢がない中で子どもが育つことが幸せだし、子どもの将来のためだと信じられています。もちろんいじめや虐待は問題外ですが、自分の人生を自分で選んでいく強さ、明日に向かっていく力は、何も順風の中だけで得られるものではないとも思います。閉塞感のある町の中でも、みんな強く優しく、時に柔軟です。


この映画を語るとき、女性の強さということがよく言われますが、それだけではなく、男性に支えられて女性が生きています。ハワイアンセンターの吉本部長(岸部一徳)は、よくあの時代に飄々と部長を引き受け、女の子たちを引き連れて、宣伝活動にまわり、時に平山まどか先生(松雪泰子)を叱咤激励し、無事オープンまでこぎつけることができたものだと思います。それを縁の下の力持ちで支えるスタッフの男性も出てきます。その人はフラガールの中の主役・紀美子(蒼井優)の兄・洋二朗(豊川悦司)の友人で、もちろん炭鉱夫からの転身組です。彼もまた、ヤシの木が枯れるからと、反対派に土下座をしてストーブを借ります。最初は頑固だった洋二朗もやがては紀美子やまどか先生の良き理解者になります。


生きる力というものは、逆境にこそ生まれるものだと、この作品を観て思います。それはキレイごとだけではなく。

ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション
ジェネオン エンタテインメント

「ブロークバック・マウンテン」 をDVDで観ました。

美しい風景と音楽の良い映画でした。最近のハリウッド映画はいまいちだと思っていましたが、これは秀逸です。


一言でいえば、ゲイの話です。

保守的な西部の山で、1960年代に20歳くらいで2人の男は出会います。かたや親を亡くしたイニス(ヒース・レジャー)、かたや親との関係がいまひとつうまくいかないジャック(ジェイク・ギレンホール)。二人とも決して裕福ではなく、夏の間羊飼いの仕事に雇われます。山でキャンプしながら羊の管理をするのです。壮大な大自然の中で、二人は友情以上の関係になります。その後、その関係は20年続きます。その間、二人は女性と結婚し、子どもも生まれます。そして住まいもかなり離れるのですが、それでも時折会い、泊りがけで出かけます。二人の心がつながるほどに、現実の世界は二人から離れていきます。


日本人はアメリカを誤解しているところがあります。自由の国だと。

でもそれはほんの一部の都市部の、一部の人々のことでしかありません。それは日本も同じです。でも日本以上にアメリカと宗教は密接です。異端を、マイノリティを排除する風潮は、日本の何倍も過激です。宗教保守派は一大勢力として存在するのです。何もこの話は一昔前の田舎の話ではないと思います。


彼らの閉塞感は理解を超えています。ラストに訪れる悲しみも、正直ノーマルな女性である私には、共感しきれない部分もあります。でも生きるということは、どこの国であっても、本来孤独で暗闇の方が多いのかな、と思います。人を愛するということは、必ずしも幸せに直結しないし、むしろそうではないことの方が多いのです。でも幸福感を超えたところに、愛情や誰か特定の人への執着があるとしたら、それは切なくも尊いことです。

角川エンタテインメント
間宮兄弟 スペシャル・エディション (初回限定生産)

DVDが出ていたので、借りてみました。

一言でいうと、ちょっとぬるすぎました。最近ハードボイルドなものや重ったるいものを観すぎていたのかもしれませんが、「間宮兄弟」に関しては、正直「なんじゃ、こりゃ?」って感じがしました。

ドラマ性のようなものがほとんどない。ないことがいい、癒されるってことなのでしょうが、個人的にはそこまで癒されたいとは思っていないので、ミスチョイスだったかもしれません。


『間宮兄弟』  森田芳光監督 佐々木蔵之介/ドランクドラゴン塚地主演 江國香織原作


これ小説が原作なのですが、小説もこんなにゆるいのかちょっと興味があります。

内容はいい歳をした大人のオトコの兄弟が、仲良く2人で暮らしているって話です。それ以上でもそれ以下でもありません。兄は佐々木蔵之介、弟は塚地です。似ても似つきません。兄はビール会社に、弟は学校の校務員さんのようなことをやっています。弟の勤める学校の先生(常盤貴子)やら、ビデオ屋のアルバイトの女の子(沢尻エリカ)とその妹やら、兄の同僚の奥さん(戸田菜穂)やら、女の匂いはするのだけど、みんなそれぞれに別の彼氏やら、ダンナがいて、結局恋は実りません。そもそもこの男兄弟は恋に淡白に見えます。仕事もちゃんと持っていて、優しく、母親思いで、弟はともかく、お兄さんはかっこいいのに、何だか男としての魅力に欠けます。物足りないのです。


そして映画も同じように物足りなく感じました。

映画とかドラマって、もう少し意外性とか、感動とか、悲しみとか、そういうものがないと成立しないのではと思うのですが。


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ところでこの映画の話ではないですが、先日エントリー した「遙かなる約束」 の放送が先日ありました。やはり書いていたように、以前見た舞台と同じモチーフでした。スパイ容疑でシベリアに戦後半世紀とどまることになった日本人男性と、ロシアで出会ったロシア人女性との生活、生を信じて待ち続けていた妻の話です。

映像でも20代から70代まで同じ俳優がやるのは無理がありましたが、それでも事実だけで何度見ても感動する話でした。特に私は待っていた久子より、日本に帰したクラウディアに強く共感します。最後に渡される手紙は特に感動モノ。

「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはできない」 何度聞いても涙が出る名言です。