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映画やドラマのストーリーには、手枷足枷が必ずあって成り立っているといわれる。例えば男に愛人がいて、妻にバレる。この男は愛人をより愛しているから、妻と別れたいと言う。妻に「子供もいないことだし、慰謝料くれればまあいいわよ」とあっさり言われたとしたら、ドラマにはならない。主人公の意のままに人生が進むことへの「障害」がドラマには必要。韓国映画の代表的な「枷」は“南北問題”“徴兵制”“儒教の伝統にのっとった家族関係”だろう。シュリやブラザーフッドは、南北問題だし、深田恭子とウォン・ビンのフレンズは、徴兵制と家族関係、それと日韓の価値観の差が微妙に絡み合う。「スカーレットレター」には、この韓国三大障害は出てこない。家族も夫婦関係まで。それでも三角関係の行き場はなく、結末は悲惨だ。男はどちらの女とも別れようとしないし、妻の夫への態度も煮え切らない。彼らを悲惨な結末に導く枷は、終盤わかる。韓国映画・ドラマお得意の誰と誰が血縁みたいな話はない。いわゆる外的要因ではなくて、3人の心に内在している。


『スカーレットレター』  ピョン・ヒョク監督/ハン・ソッキュ イ・ウンジュ主演

ハン・ソッキュ演じるエリート刑事ギフンは、従順で上品な妻スヒョンと幸福に暮らしている。一方でスヒョンの古い友人でもあるイ・ウンジュ演じるクラブ歌手のカヒと不倫の関係にある。ある日、写真館経営者が殺され、その妻ギョンヒが疑われるのだが、この事件をギフンが担当することになる。女性たちは三者三様に美しく憂いを帯びている。序盤は、ギフンがこの3人を行ったり来たりする(写真館の妻とは男女関係はなし)エピソードやシーンが入れ替わり出てくる。写真館の事件そのものもサスペンスとしては、面白みはなく、少し退屈。スヒョンが演奏するホールでの音楽会(彼女も音楽をやっている)に、カヒが招かれたあたりから物語は急展開していく。

まずこのストーリーは、ギフン、スヒョン、カヒの三角関係と、ギョンヒが絡む殺人事件との二重構造になっていて、ほぼ平行して進んでいく。殺人事件はギフンの仕事であって、スヒョン、カヒと直接関係はしないし、「夫婦関係と不倫」という共通項があるだけ。もちろん観念的にはオーバーラップする要素はあるのだが、それでも別々の2つの物語を、特に序盤は同じ重さで見せられている違和感がある。従って序盤から中盤にかけてはやや間延びして、実際の時間より長く感じた。そしてラストに向かう最大にして衝撃のクライマックスについては、かなり強引な感が否めない。そして結局、誰が誰をどのくらい、どう愛していたのか、わからないというか、うまく伝わってこない。言葉や状況説明的シーンでは、きちんと描かれているのだが、どうもしっくりこない。3人の中ではまだ、カヒの立場や心情にいちばんはまれるのだが、それでもどうも狂気のラストに向かうまでの感情の高め方が強引な感じがする。この辺はきっと韓国人が映画に求めるエンターテインメント性と、日本人の求めるものの違いなのかもしれないが…。でもそれにしては、韓国でもこの映画はいまいち盛り上がらなかったという噂もある(本当かどうか知らないが)。だとしたら、韓国人にとっても何かが欠けているのかもしれない。

しかしいずれにしても、なぜ韓国映画って、人が死ぬシーンなどで、グロテスクなまでの描写をするのだろう。迫力を通り越して、ちょっと気持ち悪い。「甘い人生」は内容的にしょうがない感もあるが、こちらはもう少し控えても良かったのでは?