はじめまして。けー(@k_pripo)と申します。
しがない声優好きです。

文章を書く能力に自信が無いため今まではブログというものを控えておりましたが、今日行ったイベント"イロアワセ vol.2 ~Ne0N~"が素晴らしかったため勢いでブログを書くことを決めました。

こちらのイベントになります。

 

ネタバレ満載、妄言満載の記事になりますがお付き合いいただけると幸いです。

 

ネタバレを含むため、まだ見ていない人はこちらからアーカイブを是非買ってみてください。

公開期間は12月12日(日)までです。

 

 

①イロアワセとは

今回お話するイベントは"イロアワセvol.2 ~Ne0N~"というタイトルであり、松田彩希さんの主催するイベント"イロアワセ"の第二弾となります。この"イロアワセ"というイベントはもともと、松田彩希さんがフリーになった間に好きなことをやろうということで始まりました。

 

ゲストと主催である松田彩希さんの"イロ"を"アワセ"る、即ち人と人との魅力を混ぜ合わせて様々な化学反応を楽しむイベントになります。

 

"イロアワセvol.1 ~イロ・アイ~"では、トーク、ゲーム、朗読、ライブと、盛り沢山の内容でした。

ゲストの声優・鶴野有紗さんはしばしばブログで創作活動をしており、非常に豊かな感受性と想像力をお持ちの方です。

その"イロ"を生かして、鶴野さん脚本の朗読劇"イロ・アイ"が披露されました。

鶴野さんがブログで執筆されている作品"エトワール・ナイトレイド"や、CUE!のライブでの幕間朗読劇の脚本などでもそうなのですが、鶴野さんの作品はいつも細部にまで伏線や裏設定などが張り巡らされており、作品として読み応え、聞き応えがあると僕は思っています。"イロ・アイ"にも朗読として魅せる演出が"色"というテーマを通して美しく描かれていました。

 

vol.1のダイジェストはこちらから見られます。

 

↓はvol.1とをvol.2合わせた戦利品とかチケットとかです。

衣装も素敵ですよね。

 

②始まる前のお話

ここからは自分語り多めになります。

いらね~~~って方は④へどうぞ。

vol.1は6月26日に開催されたので約半年ぶりということで始まる前までウキウキして12月5日という日を待ちわびていました。vol.1にも1部、2部ともに参加していて非常に満足度が高かったので速攻で申し込み、チケット当選。東京名古屋間より遠いことで有名な某乗換駅近くのセブンで1部のチケットを発券したのですが、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まさかのA列。

 


うせやん。ありがとう、神様。
そんでもって2部は身内自然連番の4連番です。やったね。

 

実際に1部は近いとかいう言葉で形容できないほどにすぐそこにステージがありました。

細かいところまで見ることができて、本当に自分の席運に感謝しています。

 

 

③当日のお話

御茶ノ水で僕を含め5人と集まって飯を済ませてから行きました。

vol.1のときは二人しかいなかったので、ワイワイできて嬉しい限りです。


昼夜の間に行動を共にしていたバカ共皆さんが、本当は午前中に買うはずだった松田彩希さんへのプレゼントに機材だか何だかを買いに行くと行ったので仕方なく僕だけ御茶ノ水の残ることに。







































いや、なんか血が騒いだんですよ。




















コトロックはいいぞ。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
お陰で夜の部はほぼ開演時刻に到着しました。
時間には余裕を持って行動しましょう。
 
 

④ストーリーについて

仮想空間を使った違法ゲーム"NEOtrueEND"、通称"ネオエン"の主催者を討伐するためにログインした" 赤リス☆ミ ありすみ "(演:鶴野有紗さん)、通称"アリス"が"ダリア"(演:堀越せなさん)、"西園寺"(演:天音みほさん)、" 奏命 カナメ " (演:松田彩希さん) と出会い、その目的を遂行しようとする過程を描いた物語になります。
最初はアリスがネオエンにログインし、"ボス"と呼ばれる人物と交信して目的を遂行する旨を伝える場面から始まります。そこからアリスが3人と出会います。キャラを演じたまま鮮やかにゲームパートに繋ぎ、舞台に戻る、というシームレスな構成は美しかったですね。

田淵○也大好き。シームレス大好き。

この過激なゲーム"ネオエン"で行われるゲームは、現実世界にリンクしており、勝てば幸せになれますが、負ければ段々と起きることが困難になる、即ち現実世界から離れていく訳です。 アリスは最初は違法ゲームである"ネオエン"で負けて苦しんでいる人々がいることから、ゲームの主催者を殺そうとする訳です。

ネオエンは悪であり、主催者を殺すアリスは正義であることを、彼女自身は疑わなかった。
しかし、西園寺の一言によって彼女の正義は揺らぎます。


「じゃあ、私たちは幸せを求めてはいけないの?」


「現実世界ではどうしようもないからこの世界を作ったのよ。」


彼女の"人を救うために仮想世界を壊す"という目的が破綻します。

仮想世界の人を貶めては彼ら彼女らを救えません。

本質を失った彼女はここで初めてこの考えが過ります。
「この世界を壊しに来た私自身は、ネオエンで幸せに生きるプレイヤーからすれば、正義という名の暴力を振り翳す"egoist"なのではないか」と。

 

冒頭の台詞によると、彼女の原動力は友人を過激なゲームによって失ったことによる、ネオエンへの"憎悪"であったように思えます。


この後1部と2部で分岐をするのですが、アリスにとっての正義を"憎しみのままに"貫き通したのが1部、新たにネオエンのプレイヤーに情が沸いて、やり方を変えることができた2部です。


1部では冒頭に登場したアリスの仲間の"ボス"が奏命で、更には彼女が西園寺、ダリアと共に"ネオエン"を創ったことが判明した奏命がアリスの手によって銃撃されます。それを見た西園寺は"滑稽だ"と狂気的に笑います。

 

サンクコストバイアスというものでしょうか。

彼女はもう引き返すことができなかった。

"迷った先の終わり"で得られたものはなんだったのでしょうか?

それは、皮肉にもアリスが憎んでいた"他者の犠牲の上に成り立つ幸福"と変わらない結果に終わったしまったのではないでしょうか。


アリスの正義は苦しんでいる"人々を助ける"ことでした。そのためにネオエンという世界を終わらせればネオエンでしか幸せになれない逆に"人々を苦しめる"ことになる。1部では、変わることのできなかったアリスが描かれています。

 

一方2部では、アリスの"人々を救う"という目的を見直し、手段を変えることができたという結末でした。

 

彼女は"人を救う"ために"人を殺す"手法が間違っていることに気付いて、世界を壊すことを選びました。

思えば、これは冷静になればこちらの方法が適切であったことにすぐ気づけたはずです。

彼女は憎しみのために盲目になっていた。より合理的な方法を選ぶことすらできなくなっていたのです。

 

では、何が彼女を変えたのか。

 

それが今回の"朗読"の部分、奏命、ダリア、西園寺の日記を読んで、そして、対話を通じて、彼女らの人間らしさに触れたからでしょう。

仮想世界でも愛が生まれ、情が存在することを知り、仮想空間で上に立つ人間が100%悪であるという見解を改めることができたのでしょう。

仮想空間で苦しんでいる人だけでなく、現実世界で苦しんでいる人も救わなければならない、という新しい正義を手に入れることによって、踏みとどまることができたのではないでしょうか。

 

そしてこちらのEDでは、またしても「無事にログインできました。」と、冒頭と同じセリフから始まる一幕で終わります。

また新しく仮想世界をやり直したのでしょうか。

この後どうなるかは神のみぞ知る、といった形でしたが、決して冒頭のように心穏やかでない雰囲気は漂っていませんでした。

あんなにも憎しみで溢れていた最後にはアリスが笑っていました。

"新しいあるべき終わり"は、仮想空間で苦しめられる人だけでなく、仮想世界でしか幸せになれない人も救うことができた、そんな"幸福"を象徴する笑顔だった気がします。

 

 

⑤登場人物について

以下、登場人物について、私なりの考察を綴ってみます。

 

 

 

アリス

 

 


鶴野さん演じる赤リス☆ミ、通称アリスです。"アリス"はダリアが付けたあだ名として描かれています。

それまでは恙なくゲームが進められていたネオエンに彼女送り込まれたことによって、事態が変わります。

赤リス☆ミは、リスミーという薬の暗喩が込められているそうです。
"リスミー"は『睡眠導入剤』であり、不眠症の人に投薬されます。
そのリスミーが仮想世界において投薬される、つまり仮想空間上の人々を眠らせて現実世界へと引き戻す。
それが彼女の目的です。

 

結局、両部とも3人を現実世界へと引き戻すことになるのですが、やり方が異なります。

1部は仮想空間における3人を殺しただけであり、結局仮想空間は消えていないので、苦しんでいる人の窮状は変わりません。

2部では仮想空間そのものを壊して、新しくやり直したものと思われます。

彼女が仮想世界で苦しむ人間だけでなく、現実世界で苦しむ人間を救おうとしたからこそ、"新しいあるべき終わり"へと導くことができたのでしょう。

ここでいう"不眠症"は、仮想世界を離れられない人々の暗喩でしょうか。
ネオエンはあらすじにもあるように"違法"ゲームであるため、本当は存在してはいけない概念なのです。
ルールを守って生きている人からすれば違法なものは異物であり、排除しなければなりません。
アリスの正義は"ルールの上での正義"であり、ネオエンで上に立つものの陰で苦しんでいる民を救う"平等を掲げる正義"になります。
彼女の正義は何が正解で、何が間違っていたのか、それは奏命との対立の間に見えてきます。

 



奏命

 

 

整式表記は"奏命"、読みはカナメです。
物語の"要"と音を"奏でる"ことに"命"をかけるという思いが込められているそうです。

 

松田さんが中性的な役に挑戦したいとのことで描かれたボクっ子です。

ネオエンの主催者にしてアリスのボス、物語の要であります。

 


「ボクのこと、いつものように親しげに呼んでよ。」


「『ボス』ってさ。」

 

 

というセリフには鳥肌が立ちました。


彼女は違法ゲームを立ち上げた人物、世の中的に言えば列記とした犯罪者です。

しかし、彼女にも正義があります。

脚本の鶴野さんによれば、この物語には幾つかの"表裏一体"が挙げられるそうです。
アリスが"現実世界のための正義"なのであれば奏命は"現実世界にとっての悪"であり、奏命が"仮想世界のための正義"なのであればアリスは"仮想世界にとっての悪"です。

 

そしてこの現実世界と仮想世界の対立は、法と違法、全体主義と個人主義、そして平等と自由との戦いでもあったのではないかと思います。

 

奏命たちの主張は、互いに同意の上でゲームで争うのであれば「自分が今幸せかどうか」が一番大事なものであるとして自由に幸福を追い求めていいということ。

 

アリスの主張は、ゲームで負けた苦しんでいる人々を救わなければいけない、人の不幸を犠牲に幸福を求める方法は傲慢であるということ。

 

人間は昔から自由と平等において争いを繰り返してきました。

冷戦なんかが分かりやすいでしょうか。

この両陣営の対立が激化し、世界的な対立にまで発展するのには理由があります。

 

西園寺はアリスに「あなたの考えも1つの答えだ」と言いましたが、確かに両者の主張はどちらも1つの正義です。

人の幸福は縛られることが無く最大限追求するべきだし、だからといって格差が産まれることを放っておいてはいけない。

どちらも正しいからこそ争うのです。


この2つの"イロ"が混ざり合うことができなかったのが1部、混ざり合うことができたのが2部です。

 

彼女についても、下記のダリアと深く関わってきます。

 

 

ダリア

 

 

堀越さん演じるダリアは、太陽のように明るく、でも少しどこか様子のおかしい女の子として描かれています。

 

物語の中盤で、「ネオエンで苦しんでいる人たちについてどう思いますか。」というアリスの疑問に対して、3人が答えていきます。

初めてその問いに答えたのがダリアです。

奏命の分身であるダリアの答えはこうでした。

 

「そんなの知らないよ。」

 

この後、奏命も同じ答えをします。

ダリア奏命のはサブアカウント、奏命であるけれども奏命の創造したゲームの登場人物です。

仮想空間の彼女たちの考え方は、根本的に同じであるはずなので二人の答えが一致するのはおかしいことではありません。

 

彼女らもまた他人の不幸を犠牲に自分の幸福を得る、"egoist"です。

 

何故こんな考えになってしまったのか?

何故彼女はダリアという人間を作り出したのか?

 

こういったところに、鶴野さんによる脚本の、読み手の創造に任せることに残す手法が使われているのですが、ここでは敢えて私の見解を一例として挙げてみたいと思います。

あくまでも以下は私の妄想が含まれますのでその前提の上で見てみてください。

 

公式設定によると奏命は「幼少期から一人でいる事が多くゲームの世界にのめり込んだ。自分の信じた人間以外はどうでもいい。」とあります。

 

奏命は幼少期に酷い虐めを受けて引きこもるようになった。

 

他人は"幸福"を手に入れるために自分を"不幸"へと貶めます。

ならば、自分にも同じことをする権利はあるはず。

ルールを守っても私は馬鹿を見る。

 

そんな考えになっていきます。

 

これは私の妄想ですが、こうでなかったとしてもきっと何か人を信じられなくなった原因があったはずです。

 

そのせいで"他人"を信じられなくなった彼女は"機械"を相手に生きるようになります。

即ち、奏命は無差別的に人を受け入れてくれるゲームの世界にのめり込みます。

 

そして、彼女にとっての理想郷"NEO True End"を立ち上げた。

 

他人を信じられなくなった彼女は、サブアカウントで、自分の理想の"他人"を模した"自己"である"ダリア"という人物を創ります。

自分が不幸に貶められたことを嫌っている訳ですから、彼女は誰にでも明るく振る舞います。

本当は奏命もこんな温かい人たちに囲まれて、普通に暮らして、普通に青春を送ってみたかった。

 

ダリアには、そんな想いが込められているのかもしれませんね。

 

 

そして、花の名前を冠した彼女は、鶴野さんの大好きな花言葉の意味も込められているそうです。

 

ダリアの花言葉はの1つに「裏切り」があります。

 

物語の最後で、停止したはずの彼女は奏命を助けるために動き出します。

ここで初めて、自分自身を裏切ることによって、ダリアは"信頼できる他人"へと、本当に奏命が欲しかったものへと、本当の意味で変化を遂げられたのではないでしょうか。

 

 

 

西園寺

 

 

1部の肝の役でもあった西園寺さんです。

 

僕は勝手に、鶴野さんが乙女ゲームか何かで見たことのあるお嬢様お坊ちゃまみたいな名前を持ってきたのかと思ったのですが、語呂のよさそうと西園寺公望から取って命名したらしいです。

 

彼女は、どこか俯瞰した様子でこのゲームを見ているように感じました。

 

表面上はお嬢様の風貌であっても実際には貧乏であるというパターンはたまにありますが、彼女に関してはそうでないと考えます。

上記ビジュアル公開の説明文にあるように、彼女は大学生です。

そもそもお金が無いのであれば大学に行かずに働いて家にお金を入れるという家庭が多いので、可能性は低そうです。

では、何故"鬱屈とした日常"を過ごしていたのか。

それは、持てるものを全て持っていたからでしょう。

 

西園寺の話に戻りますが、彼女はその窮屈さを仮想世界にぶつけました。

理想郷"NEOTrueEND"では、仮想世界は過激なゲームに勝って幸福を得る人、絶望のどん底に叩き落されて苦しむ人など、強すぎるほどの刺激に溢れています。

 

全てを手に入れてしまった彼女が次に求めたのは、"刺激"です。

育ちのいいお嬢様ならば現実世界では絶対に経験できないような、狂気的なほどの"刺激"。

"お嬢様"という肩書きによって、窮屈にも彼女の奥底に押し込められていたものが爆発したことにより、仮想世界の人間が狂っていく末を見て楽しんでいたのではないでしょうか。

 

実は鶴野さん、以前にも似たようなお嬢様キャラを描いていたことがあるんです。

"エトワール・ナイトレイド"という作品では、登場人物が電脳世界と現実世界での両方で描かれています。

その中に登場するツバキという人物は、由緒正しく厳しい家で育てられました。

彼女は親の敷いたレールを走り、周りからの固定化された視線を浴びながら窮屈な生活に嫌気が差し、ちょっとした冒険をする様子が描かれています。

 

話がそれましたが、つまりは人間、押し込められたらその分解き放ちたくなるという訳です。

西園寺はたまたまそれが仮想世界の行く末を俯瞰することであった。

 

彼女はアリスのように何か強い情動によって動いている訳ではありません。

強い刺激を感じられる方へと、冷静に動いています。

1部でアリスに手を下させるきっかけを作ったのも、2部で仮想世界を壊す手伝いをしたのも彼女。

西園寺は理想郷の終焉という、仮想世界が始まって終わるまでのうち、最もスリリングな部分に美を感じて、刺激を欲していたのでしょう。

 

 

ところで、知っている人は知っているかもしれませんが、この色相環を見てみてください。

 

 

 

色相環イラスト/無料イラストなら「イラストAC」

 

黄色の補色って青なんですね。

美術に疎いので初めて知りました。

 

ダリアと西園寺にも同様に、表裏一体の対比が含まれています。

 

中盤、アリスの「ネオエンで苦しんでいる人たちについてどう思いますか。」という疑問に対して、ダリアは「私が幸せになれればいい。」と答えるのに対して、西園寺は「現実世界ではどうしようもないからこの世界を創った。」と現実世界への不満を加えます。

ダリアは理想郷を語りますが、西園寺は現実を語ります。

 

そして、鶴野さんがブログで言っているとおり、西園寺はゲームを終わらせる誘導を行っています。

一方、奏命がゲームを始めるきっかけとなったのは卑しい現世から離れた理想郷を作るためです。

心の中のどこかで、彼女は自己を認めてくれる他人を欲していたのでしょう。

 

それがダリアです。

 

彼女は本質的に、奏命にゲームを始めさせるきっかけとなったのではないでしょうか。

"NEOTrueEnd"の"始まり"と"終わり"のきっかけがこの二人である、と私は考えます。

 

他にも色々対比的な部分があると思いますが、あとは是非皆さんで考えてみてください。

 

⑥出演者のみなさまについて

今回のイベントにおける内容の考察はここまでとして、私の感じた出演者の4人の魅力や見せ場等について語っていきたいと思います。

要約すると褒めちぎりコーナーです。

実際に皆さん称えられるべきことをしているので。

 

 

松田彩希さん

 

彼女の立ち上げた、この"イロアワセ"という企画、まず「フリーになったから自由なうちに色々やる」というチャレンジ精神が素晴らしい。

少なくともセルフプロデュースでここまでのイベントを企画しようとする女性声優さんは見たことがなかったです。

 

企画、原作、キャラクターデザイン、作詞、衣装、振付、演出、舞台美術、DJ、VJ、奏命役を全て一人でやる方が声優さんとは思えません、それくらい凄いと思います。

しかも、いずれも細部まで拘って取り組まれています。朗読、舞台×DJといった異なる3つのジャンルを組み合わせ、出演者の皆様の個性を最大限に引き出した企画、ダンサブルなesseの振り付け、物語とリンクして想像力をかきたてる歌詞、キャストにマッチした登場人物たちなどなど。

知れば知るほどこだわりの数々が見えてきます。

 

本当にこのイベントをやり遂げてくれて、素晴らしいものを見せてくれてありがとうございます。

 

 

そして1つだけ、伝えたいことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロトック家に飾ってくれてありがとうございます(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶴野有紗さん

 

赤リス☆ミ役、そして脚本を書き上げた鶴野さん。vol.1では、彼女の影響で現地まで足を運びました。

以前から鶴野さんの創作された作品は拝見していたのですが、彼女の脚本は非常に余韻の残し方が上手いのです。

作品の裏に隠された背景やメタファーなどを受け取る人の判断に任せることによって、噛めば噛むほど味の出る物語を紡いでくれます。

 

この赤リス☆ミという役、最初は正式な名前も"アリス"で、松田さんは正式な名前もアリスのままで進めようとしたそうです。

しかし、"リスミー"という薬の暗喩を追加することによって、受け手にどのような意味を表すのか想像の余地を与えてくれるのです。

イロアワセはvol.1,vol.2ともに、1つの物語を中心としてイベントが催されますが、共に鶴野さんの技巧溢れる脚本によって彩られています。

 

松田さんと鶴野さんは某作品で共演されていて親交が深く、意見をぶつけ合うことができたからこそここまで完成度を高めることができたと思っています。

また鶴野さんにはこのイベントに出演して欲しいですね。

 

 

 

天音みほさん

 

私は唯一はじめましての方でした。

運良く両部とも前の方で見ることができたのですが、まずその美貌に圧倒されました。

俺の知ってるアイカツ先生じゃねえ!!!

 

容姿端麗、才色兼備、そういった言葉がピッタリで、西園寺に配役されたのも納得です。

 

1部ラスト、西園寺が狂気的な昂揚から一瞬にして冷静になってアリスに語りかける場面があります。

彼女は銃を向けられているのにも関わらず、これから死を迎える可能性があるのにも関わらず、驚くほどに冷静でした。

 

これによって受け手は深い恐怖を体感します。

1部で一番の見せ場を演じきることができたのは、きっと彼女だったからこそでしょう。

 

 

 

堀越せなさん

 

まず1つ。

 

DJが上手かった。

私見ですが、一番上手かったと思います。

 

僕はあの機材(確証はないですが、たぶんXDJ-RX2?)と同じものを触らせていただいたことがあるのですが、どこのボタンやフェーダーが何者なのか覚えるだけで精一杯でした。

 

DJにはトラブルやミスが付き物で、僕もイベントに出させていただく度に音を止めたりフィルターを戻し忘れたりしてヲタクのみなさまに日々詰められている訳ですが(申し訳ない)、予想外にも松田さんがループをぶった切ったらしいです。

そこを上手くリカバリーしたのが彼女。僕だったらテンパって泣いてます。

 

今回の朗読、舞台×DJというコンセプトにおいて、通常のDJの難しさに加えて朗読に合わせなければならないという難しさがあります。

 

例えば分かりやすいのが、1部の物語の中盤、"Dear Future"という曲を終わらせるタイミング、具体的に言えば、西園寺と奏命が、二人が似た者同士かどうか話している場面です。

ちょうど西園寺の「私とあなたは似た者同士じゃないわ。」というセリフの直後に曲の終わりが来ているんですよね。

朗読を合わせた二人も二人ですが、上手くここにピンポイントで静寂を作って視聴者の目を引き付けたのはお見事でした。

 

そしてもう1つは演技面について。

やはり特筆すべきは奏命がダリアを停止させて倒れるシーンでしょう。

きっと彼女はこれ1つについても研究し尽くしていると思います。

現実に引き戻さないために、いかにして自然に、視聴者を"NEOTrueEnd"の世界に引き込むかが重要になってきますが、SEが流れて倒れるタイミング、倒れ方、その両方が完璧で、相当難しいであろう演技をやり遂げてくれました。

 

それだけでなく、太陽のように明るい振る舞い、アリスの問いかけに対し、残酷にも「そんなの知らないよ。」と答えるセリフのギャップによって与えられる衝撃、そして最後、奏命にとって自己であったはずの彼女が彼女へと愛を持った他人へと変化する際の彼女の力強さが、豊かに表現されていました。

 

⑦最後に

今回のイベントは舞台、朗読×DJということでしたが、ほとんど物語の話になってしまいました。

鶴野さんの脚本の物語は、こんな感じで想像力を膨らませながら楽しむことができます。

センターの小説文ではサイコロとして鉛筆を転がしていたほどには読解力の無い僕ですが、彼女の紡ぐ物語によって少しだけ文学というものが好きになれた気がします。

 

改めて、この素晴らしいイベントに携わってくれた人々には感謝を送りたいです。

 

そして、当日私と行動を共にしてくれた方々。

CUE!2ndのときといい、いつも皆さんの観察眼には驚かされていますし、日々参考にしています。

またご一緒できれば幸いです。

 

最後の最後に、ここまで稚拙な戯言にお付き合いいただいた皆様、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

次はきっと、イロアワセ vol.3でお会いしましょう。