【おいしい洋食のおはなし マカロニグラタン編 新たに】


 私は今、ある洋食屋に来ている。妻と離婚する前に娘と3人で時たま利用していた思い出の店だ。

 20歳になる娘のお祝いのためにこの店を予約したのだが、10年ぶりに会う娘と2人での食事にいささか緊張している......

 別々に暮らし始めてからは妻が毎年誕生日にメールと写真を送ってくれていたので娘の成長している姿は知っている。だが、実際に私の目の前に座り相対すると不思議な気分だ。

「お父さん、いつ日本に帰ってきたの?」

「あ、ああ先月の終わりかな。帰ってからもバタバタしていてお前になかなか連絡出来なかった。でも誕生日には間に合って良かったよ」

 

 10年もの間、私は何ヶ国かで海外勤務に就いていた。アメリカでのプロジェクトが成功した後、その他の国でもプロジェクトリーダーを任されたのだ。


 娘とのぎこちない空気の中、会話の糸口を探しふと口から出た言葉は妻についてのことだった。

「お母さんは元気か?」

「相変わらずいろんな友達とあっちに行ったり、こっちに行ったり、仕事も遊びも忙しいみたい……

 

 一人娘が10歳の時に私たち夫婦は離婚した。お互いに仕事を持っていてすれ違いが多く、いつしか少しづつ心が離れてしまっていた。折しも私は社運を賭けたビッグプロジェクトの責任者となり、海外勤務を余儀無くされた。妻にその事を報告すると、自分と娘は日本に残ると言い張った。そして、夫婦という関係も一度リセットして、お互いを見つめ直したいと離婚を申し出てきたのだった。籍を抜く必要に疑問を感じながらも、仕事人間で家族を全くかまってあげられなかった後ろめたさから、妻に従う私だった......

    別れた後も仕事の忙しさにかまけて、妻にも娘にも私からは1度も連絡せず10年の時を過ごしてしまった。妻からは時たま近況報告のメールが来たが私は短い返事を返す程度だった。1人ぼっちの寂しさはそのメールさえも孤独を再確認させられるものになった。

 そんな寂しさを紛らわす為に必死で働いてきたこの10年であった......


 海外勤務を終え帰国した私は20歳になった娘にお祝いをしたくて、思い切って別れた妻に連絡を取ってみた。

    久し振りに聞く妻の声。何の躊躇も無く、ごく自然に受け応えする妻に私は救われ、こちらも不思議と自然に言葉が口を突いて出てきた。冷め切った夫婦生活を送っていた10年前が嘘のように......

    娘に会いたいと妻に申し出て、それを伝えてもらった。娘は少し驚いたようだが、承知してくれた。私が指定した懐かしいこの洋食屋は娘もよく憶えていたようで、待ち合わせの時間より30分も早く一人でやって来た。


   10年振りに会う娘は眩しいほどに輝く女性に成長していた。その姿は、私と知り合って間も無い頃の妻によく似ていた。

「この店には3人でたまに食事に来たよな。覚えてるか?」ぎこちなく話し掛ける自分がもどかしい。

「お父さんもお母さんも話が弾まなくって、いつも私を通しての会話だった。でも、滅多にない家族揃っての外食はとても楽しかったよ。このお店は私の思い出が詰まっている特別な場所だよ」娘にとって大切な時期に楽しい思い出をあまり作ってあげられなかったと後悔している私。そんな私の気持ちを察して気を使っているのだろうか、娘は3人の生活での数少ない思い出を屈託無く振り返る。ぎこちない会話も、懐かしいこの店の雰囲気と娘の笑顔で徐々にほぐれていった。


「お待ちどうさま、ご注文のマカロニグラタンです。熱いので気をつけて召し上がってくださいね」お店の奥さんが運んできたのは冬場の限定メニュー『マカロニグラタン』だ。

 今まさにオーブンから出てきたばかりのそれは、器のふちのホワイトソースがグツグツと熱に踊り、香ばしいチーズの香りを漂わせる。まるで私達のテーブル全体を暖めてくれているようだ。

「おい、熱いから気をつけろよ。マカロニグラタンはなあ......

「『マカロニの穴の中にも熱いホワイトソースが詰まっているから油断するなよ』でしょ!お父さん、いつもこれを食べる時に私とお母さんに言ってくれてたよね。でも、それって本当なのかなあ?マカロニの穴の中まで見た事ないけどね」

「へえ、覚えているんだ。お前もお母さんもグラタン系の料理は大好きだったよな」熱いグラタンを頬張りながらふたりは笑い合った。


「今日は来てくれてありがとうな」

「何言ってるのよ、私だってお父さんには会いたかったんだから来るに決まってるじゃない」

 私たち夫婦の離婚で辛い思いをさせてしまったが、娘は私を受け入れてくれるようだ。そして思ってもいなかった意外な事を話し始めた。

「お父さん、私思うんだけど、お母さんがずっと忙しく飛び回っているのはきっと寂しさを紛らわせる為だよ。お母さんは今でも別れたことは後悔しているみたいだよ。たまに夜中にお酒を飲みながら昔の写真を見て1人で泣いているの......

「そうか、お母さんはそんな気持ちでいるのか。お父さんは、あの頃生き生きと忙しそうに働くお母さんに何故か張り合う気持ちが強くて、労いや思いやる気持ちを持てなかった......

「あ、それ!お母さんも同じ様な事を言ってる」

「別れてみて、お母さんの存在の大切さを感じたんだ。仕事の忙しさにかまけてその気持ちをお母さんに伝えられず10年が経ったけど、この前久し振りにお母さんの声を聞いて、もう一度いろいろと話しをして、お母さんに対する自分の気持ちと向き合おうと今は思っているんだ......

「もう1度、3人で家族のやり直しが出来たらいいね、お父さん。それが私にとって一番の20歳のお祝いよ!」

 娘は大粒の涙を流しながらも晴れやかな笑顔を私に向けて言った。

「うん、そうだな。過ぎてしまった10年はもう取り戻せないけれど、また3人で暮らせたらいいな……」私はその時、生まれて初めて娘に涙を見せてしまった。

    私はその場で妻に電話し、3人で次の日曜日にこの店で食事する約束をした。受話器の向こうで妻も声を詰まらせて泣いている。

    もう2度と囲む事が無いと思っていた3人でのテーブル、3人で食べるマカロニグラタン。

カウンターの向うでシェフと奥さんがおだやかな微笑を私達に向けている。   

        FIN