令和3年3月11日 (晴) 島田駅から岡部営業所バス停まで
朝、自宅から公共交通機関を使い、出発地へ。そして東海道を歩き目的地点に着きます。そして目的地から自宅に戻る。そんな東海道の街道歩きを繰り返しています。
これまで日帰りの繰り返しを続けてきましたが、近い内には泊をしなければならない時が来るでしょう。
今回は第17回目でしてJR島田駅から静鉄バス岡部営業所バス停まで歩きました。
JR島田駅を出発して最初に寄ったのが大井神社。そして島田宿を歩き藤枝宿へ。JRの駅から列車に乗って帰宅するのですが、旧東海道が駅から離れており、岡部バス停から藤枝駅に戻りました。
岡部宿の近く、横内まで来て岩村藩傍示杭と言う説明板が有りました。
岩村藩と言うのは岐阜県の南東部に位置します。恵那市岩村町と言う所です。NHKの朝の連ドラ。「半分青い」の舞台となった所です。
岩村城。今は城跡で石垣が残っています。かつては信長の伯母さんが城主を務めていた時期が有りましたが、信長に滅ぼされました。
私は岐阜県に住んでいますので、県内である岩村が関係していることに親しさ感じました。
説明板には横内村に五千石の領地を有し陣屋を置いたと有りました。遠く離れた処の五千石の領地。年貢は米ですが遠州から東美濃へ運んだのだろうか。疑問が膨らみます。
高山市と浜松市を結ぶ道が国道257号線です。役人が街道を使って任地へ赴いたのでしよう。奥三河を貫く伊那街道や鳳来寺道。今のように整備された道で無かったので難儀して歩いたことでしょう。
歩いていての発見。それが街道歩きの面白いところです。
一般法人 中部地域づくり教会発行「東海道さんさくマップ」より引用しました。
島田駅に着きました。
朝のラッシュの時間が過ぎ、閑散としています。
(09:49)
島田駅から北へ向かいます。
(09:55)
東海道沿いに有った大井神社です。
最初に寄りました。
鳥居の東側に有った燈籠。
通日雇仲間(トオシヒヤトイナカマ)
通日雇仲間とは、いわゆる飛脚の仲間で、江戸には日本橋組や神田組など6組有りました。大坂には上町組と川西組が有り伏見と京都にも有りました。
その者たちが道中の安全を祈願して奉納したものです。
こちらは西側です。
川越人足が大井川から持ってきた石で、石垣が造られたと説明しています。
大井神社の正面側です。
民家の前に升形跡の説明板が立っていました。
ここが島田宿の西の入口でした。
宿場の防御と言うことから、直角や鈎の手の形をしていたと書いて有ります。
(10:00)
信用金庫の前に芭蕉の句碑が有ります。
この信用金庫。
もともとは島田信用金庫と掛川信用金庫だったのではなかろうか。
句碑の説明板です。
東海道を東へ向かって歩いています。
この辺り、島田宿の町並みでした。
島田宿の下本陣置塩家跡です。
本陣跡の解説板が有りました。
上本陣、中本陣、下本陣が有ったが脇本陣は無かったと書かれています。
狭い間口。そして長い奥行きとなっています。
島田宿の案内図です。
西の升形や東の升形。
それに本陣や問屋場の位置が分かります。
問屋場跡の石碑と問屋場の説明板が有ります。
問屋場の説明板です。
問屋と言うのが問屋場の長であると書いてあり、問屋と言うのは役職で有る事が分かります。
島田市本通6丁目辺りです。
(10:15)
島田宿一里塚跡です。
一里塚の標柱そして説明板が有りました。
島田宿の東の升形跡辺りです。
道が曲がって行き街道らしさを感じさせます。
東の升形跡に設置して有った説明板です。
宿場の入口が「見付」と呼ばれていたと書かれています。
民家の塀越しに見えたボケの花です。
可愛い花ですが、トゲが有ります。
この高さまで伸びたボケ。大きな木となっています。
(10:36)
大津谷川に架かる栃山橋の上から・・・・・・。
カモの群れが居ました。
道悦島まで来ました。
旧東海道が国道1号線から左へ分かれて行きます。
この後、少し進むと再び合流しました。
民家のブロック塀越しに見えたコブシです。
島田市の岸町辺りを歩いています。
(11:08)
前方に藤枝市のロードサインが見えました。
市境で藤枝市に入ります。
路傍のジンチョウゲ。
良い香りを放っていました。
藤枝市上青島。
数本の松並木が見えます。
丸七製茶と言う製茶工場です。
茶の葉を炒っているだろうと思える匂いが漂ってきました。
東海道を歩いていると、このような製茶工場を何箇所も見かけました。
東海道が県道から分かれて南に入ってきました。
松の木が1本だけ残っています。
(11:17)
上青島の松並木辺りです。
松並木で、松と松の間に上青島の一里塚の標識と一里塚の標柱が設置して有りました。
畑のレンゲです。
密集状態。
(11:33)
藤枝市の下青島辺りを歩いています。
下青島に有った千貫堤の説明板が設置して有りました。
(11:44)
こちらは下青島地内です。
松並木の松が美しい。
(12:17)
こちらにも松並木が所どころに有りました。
田中藩領傍示石跡です。
複雑な境界を示すのに必要だったのでしょう。
(12:25)
藤枝市南新屋を歩いています。
曲がった道に街道らしさを感じさせます。
勝草橋の南側です。
志太の一里塚跡が有りました。
勝草橋を渡り、藤枝宿に向かって行きます。
(12:59)
藤枝宿に入ってきました。
藤枝商店街の中です。
藤枝宿のフラッグが下がっていました。
こちらは問屋場跡です。
パーキングとなっていたが、問屋場跡を表示し広重の絵が添えられていました。
宿場の中です。
地面に問屋場跡とか本陣跡を表していた。
下本陣跡の表示も有りました。
宿場を通過して行くのに、このよう表示して有ると、この場所が〇〇跡だと分かり、有難いです。
(13:19)
こちらは藤枝宿の案内板です。
案内板の中の藤枝宿の図。
宿場の入口に木戸が設けて有るのが分かります。
(13:35)
ザックを背負った男性が通りかかりました。
私から声を掛けました。
男性は静岡から歩いて来たそうな。
そして、藤枝まで行くとかでした。
神奈川県から車できたと言っていました。
歩き終えて列車で戻り、車で帰るのだそうでした。
一期一会の出会いでした。
前方に見える公園は水守中央公園です。
この公園、まだ新しい公園なのですが、立派な松が有ります。
公園を建設する前から有った松だろうか。
(13:56)
葉梨川の八幡橋からの眺めです。
鬼島地区へ入ってきました。
(14:00)
鬼島の一里塚跡です。
従是(コレヨリ)西田中領の石柱。
下の石碑には説明が有りましたが、読み難い状態でした。
仮宿の横断歩道橋の上から撮影しました。
右が県道381号線で、かつては国道1号線だった道路です。
左の松並木は東海道です。
跨線橋から進んでくると、従是(コレヨリ)東巖村領の標柱が立っていました。
岩村藩領傍示杭。
享保20年から明治維新まで岩村藩領だったと書かれています。
岩村藩はここから離れた岐阜県の藩。
どういう事からこんな飛地を治めることとなったのだろうか。
(14:13)
県道381号線。かつての国道1号線です。
東京まで199キロを表しています。
朝比奈川の横内橋を渡ると、横内の入口に入ります。
この横内地区の案内地図が有りました。
横内の町内です。
(14:26)
岡部宿の入口まで来ました。
岡部の松並木。
松の木が連なっています。
(14:42)
岡部営業所のバス停です。
藤枝駅行きのバスが来ました。
このバス。
時刻表では14時30分となっていました。
少し遅れて来たのです。
今日の歩行数です。
2万5千歩ほど歩きました。
歩いて来て目にした夢舞台・東海道の指示標識です。
左から「島田宿」「阿知ヶ谷」「上青島の一里塚」「藤枝宿」の指示標識を目にしました。
春は黄色い花が多いです。
東海道を歩いていて、多くの黄色い花を見かけました。
左上はオオキバナカタバミ。右上はウンナンオウバイ。
左下はレンギョウ。右下は菜花です。
この他にタンポポやスイセンなど黄色い花を見かけました。
こちらはスミレ。
アスファルトの隙間から伸びて来て花を咲かせていました。
凄い生命力です。
最後に
東海道を歩いて来て藤枝の横内が美濃の岩村藩の領地だったことを知りました。こんなことを知ったりするのも街道歩きの面白さです。
歩いていて、工場からお茶の匂いが漂ってきました。こんなことを感じるのも、お茶の本場ならではです。
春真っ盛りと言う陽気。色々の花を愛でることが出来ました。
今日の経費
青春18きっぷ1回分 2,410円
静鉄バス 410円
パン 108円
カップ麺 90円
缶ビール 313円
稲荷寿司 580円
合計 3,911円