さて気仙沼の旅もついに最終章。

沿岸部の被災地の現状をこの目で見てきたので
皆さんにもしっかりとお伝えしたいと思います。

まずは大谷海岸です。
震災前は「日本一海水浴場に近い駅」だった「はまなすステーション」
津波で線路も寸断され駅は跡形もない状態でした。

献花台の「あの日を忘れない」という言葉が胸に突き刺さります。
土嚢の壁を見つめる育美ちゃんの瞳には美しかった頃の砂浜が
重なって映し出されているのかと思うと心が苦しくなりました。

気仙沼は震災で最大76センチ地盤沈下したそうです。
市街地周辺も今は更地となり嵩上げ工事が続いています。

この嵩上げは1.8mから最大5.5mだそうですが、
今後その上に町が出来ていくというイメージが
全く掴めないというのが正直な感想です。

それほど復旧への道のりが遠いものなんだと感じました。
ひっきりなしに土を運ぶトラックや土を固めるロードローラー。

「希望をもって前へ進むしかない。未来のために…」
そんなドライバーさんの思いもひしひしと伝わってきます。


そして「気仙沼向洋高校正門前」にも行きました。
校舎の四階の床まで津波が到達したことを見たままに教えてくれます。

気仙沼では、市街地に打ち上げられた「第18共徳丸」が解体されるなど
震災の教訓を後世に伝える手段が失われつつあると問題提起されています。
向洋高校も校舎を遺構として保存していきたいと要望しているようです。

その為には費用が大きな課題となりますが募金を募るなどして
なんとか残していきたいと育美ちゃんも話してくれました。


そんな遺構の一つの道標とも呼べるモニュメントが
気仙沼市に隣接する岩手県陸前高田市にあります。

震災前は名勝として多くの来訪者に愛された陸前高田。
7万本もの高田松原は津波でほとんどが流されてしまいましたが

その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」だったそうです。
高さ約27.5m、幹の直径約90㎝、樹齢およそ170年。

その後、海水による傷みにより枯死してしまった一本松を
陸前高田市は鎮魂・希望・復興の象徴として後世に受け継ぐため
人工的な処理を加えモニュメントとして保存することに決めました。

ですが被災した市民の生活再建が優先と考え、
保存事業は皆さまからの募金によって行うことに…

日本全国そして世界中から一本松を残したいと願う
あたたかい支援が集まりプロジェクトは見事実現!

「奇跡の一本松」は今も故郷を見守り続けています。

津波により沿岸部は壊滅した陸前高田の現在は
更地とベルトコンベアの橋が建ち並ぶ景色に変貌。

今泉地区に高台の住宅をつくる工事を行っており
掘削した土を運搬するためのベルトコンベアに
「希望のかけ橋」という名の吊り橋を架けています。

今年の夏にオープンした「一本松茶屋」は
土産物店や飲食店なども入る物産施設です。

「つるや」さんは被災した老舗和菓子店。
「ご支援してくださった皆さまに恩返ししたい」
と、店長さんは静かにおっしゃっていました。

この夏は訪れた方々の涼みと憩いの場になっていましたよ。

そのつるやの店長さんに教えてもらった
「陸前高田復興まちづくり情報館」へも。

被災マツの根が展示されてあったりと、
陸前高田の過去と今を知れる貴重な場所でした。
慰霊碑にも手をあわせて、復興を願いました。


帰り道、育美ちゃんと色んな話をしました。
復興、復旧はそう簡単ではないけど、
決して希望を捨てちゃいけないと。

育美ちゃんが故郷気仙沼を想う気持ちも聞きました。
今ある平凡な暮らしがいかに幸せかも・・・。


もし、東北観光を躊躇している方がいたら
育美ちゃんは笑顔で必ずこう言うと思います。

「被災地だからとかではなくただ遊びに来て欲しい」
「大好きな故郷を来てくれた人にも大好きになって欲しいから」と。

育美ちゃんの紡ぎだす音楽にはそんな彼女の大好きな
美しい故郷気仙沼の景色や空気がたくさん詰まっています。
歌からも彼女の揺るぎない愛を感じて欲しいです。

私もこの旅を通して大切なものを改めて見つめ直せた気がします。
遠い豊かな未来のために、近い今を懸命に正直に生きよう。

出逢ってくださったすべての皆さまに
心からのありがとうを贈りたいです。


愛を込めて。


NANA