体は一つしかない。
しかも人生80年しかない。
いや、もっと少ないかもしれない。
僕らが現在、歴史上の人物を知っているのは、
それが何者か(本人の場合もある)によって記述された
書物が現代まで残っているからだ。
つまり、それがなかったら、僕らは死んだ人のことを知る余地はない。
せいぜい自分が生きている間の身内や友人の存在しか知らない。
時代は流れ、今ではマスメディアや出版物、インターネットによって
僕らは、僕らの友人・知人・家族以外にも多くの人々の存在を知っている。
それは、当たり前だと言えば当たり前だ。
だけど、冷静に考えてみれば、これほどまでに
「自分は相手のことを知っているけど、相手は自分のことを知らない」
という人々を大量に生み出せた時代はない。
書物のアナログなものだけじゃなく、ネットやTVなどのデジタルなもので多くの情報発信がされている。
つまり、「向こう側の人間」と「コチラ側の人間」に大きな隔たりがある状態だ。
彼らは自分のクローンを大量に生み出すことに成功した人たちである。
ブラウン管の中に、あの芸能人がいるわけではない。
100万世帯にTVがあったら、その人はバーチャル空間で100万人に増殖しているのだ。
そうやってみんなの前に姿を表しているのだ。
最近、ずっと「同じ時間生きているのに、人間の差はなぜ生まれるか?」っていう命題について書いている。
自分の分身を大量に生産することができれば、即ち1時間TV番組に映っている人は
100万世代のひとたちの、100万時間ものアテンションを得ているのだ。
なんだか、もう想像を絶している。
資本主義社会における、マーケティング。
これはまさに広告活動によって多くの人たちに
自らの存在をアピールするために金が動く現象だ。
これほどまでに時間にレバレッジを効かせられれば、
有名人と一般人に大きな隔たりが出来ても仕方が無い。
※ただし、個人に対しこのようなブランディングをすると、その人の生涯をかけて、多くの人に注目を浴びることになる。良くも悪くもプライバシーなんてない。
その点、法人に対しブランディングできれば、個人のようなプライバシーは気にする必要がない。
だって、コカコーラの社長の名前なんて誰も知らないでしょ?
だから法人というのは、こういうところにおいても便利な存在になる。
だって、法律上は人格を持っているが、実際には存在しないのだから。
しかも人生80年しかない。
いや、もっと少ないかもしれない。
僕らが現在、歴史上の人物を知っているのは、
それが何者か(本人の場合もある)によって記述された
書物が現代まで残っているからだ。
つまり、それがなかったら、僕らは死んだ人のことを知る余地はない。
せいぜい自分が生きている間の身内や友人の存在しか知らない。
時代は流れ、今ではマスメディアや出版物、インターネットによって
僕らは、僕らの友人・知人・家族以外にも多くの人々の存在を知っている。
それは、当たり前だと言えば当たり前だ。
だけど、冷静に考えてみれば、これほどまでに
「自分は相手のことを知っているけど、相手は自分のことを知らない」
という人々を大量に生み出せた時代はない。
書物のアナログなものだけじゃなく、ネットやTVなどのデジタルなもので多くの情報発信がされている。
つまり、「向こう側の人間」と「コチラ側の人間」に大きな隔たりがある状態だ。
彼らは自分のクローンを大量に生み出すことに成功した人たちである。
ブラウン管の中に、あの芸能人がいるわけではない。
100万世帯にTVがあったら、その人はバーチャル空間で100万人に増殖しているのだ。
そうやってみんなの前に姿を表しているのだ。
最近、ずっと「同じ時間生きているのに、人間の差はなぜ生まれるか?」っていう命題について書いている。
自分の分身を大量に生産することができれば、即ち1時間TV番組に映っている人は
100万世代のひとたちの、100万時間ものアテンションを得ているのだ。
なんだか、もう想像を絶している。
資本主義社会における、マーケティング。
これはまさに広告活動によって多くの人たちに
自らの存在をアピールするために金が動く現象だ。
これほどまでに時間にレバレッジを効かせられれば、
有名人と一般人に大きな隔たりが出来ても仕方が無い。
※ただし、個人に対しこのようなブランディングをすると、その人の生涯をかけて、多くの人に注目を浴びることになる。良くも悪くもプライバシーなんてない。
その点、法人に対しブランディングできれば、個人のようなプライバシーは気にする必要がない。
だって、コカコーラの社長の名前なんて誰も知らないでしょ?
だから法人というのは、こういうところにおいても便利な存在になる。
だって、法律上は人格を持っているが、実際には存在しないのだから。