こんばんは〜今野華都子です。
長年人道支援に当たってってきた医師の中村哲さんが銃撃されて亡くなってから2023年12月4日で4年です。その中村哲さんの映画を観て来ました。
中村さんを21年、約1000時間にわたって撮影してきたカメラマン谷津賢二さんの映像です。
中村哲さんはアフガニスタン、パキスタンで1984年に医療支援をスタートしました。
かんばつ対策用の用水建設、農村復選へと語動を広げた中村医師そのあゆみは35年に及びました。
支援にあたり中村医師はまず現地の言葉を覚え、現地の人々との対話を通じ、結報を重ねていくことを大切しました。
「私たちに理ずとした環助学があるわけではないが飛一読れぬ一緒は「現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価抗能を取し、現地のために働くこと」である」用水路建設では自ら設計を引き、重機を通転し、泥まみれて一緒に作業する。
その作業には貧しさゆえにタリバンに参加していた民も参加していた。
「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ」中村医師はキッパリとこのように言い切ります。
中村医師は、飢餓によって次々と命を落とす子供たちを前に白衣を脱ぎ、井戸を掘り水路を作った。
どんな時も命を守るために力を尽くした、本当に大切な事は何か医師として目の前の命を救うでも薬や聴診器ではなく今彼らにとって必要なものは食料であり、その食料を育てる水であった。そのために彼は全くの素人から土木を勉強し、用水路を掘った。その水が65万人も命を救うことになる。
荒れ果てた大地は蘇り、農作物は実り、65万人の生活を支えている。
親子で取穫し、家族で食事をする風景は眩しい。
中村医師は言う「これは人間の仕事である。
医師としての本質の仕事とは何か「命を守ること」
とは何かいつもその本質
見つめて生きていたのでした。
どこにいても、人間社会属している限り、地域社会とどのように関わっていくのかが問われる。
まず自分たちが主体となり、地域の課題をみんなで乗り越えていく。
その気持ちでその課題を見ると、自分たちが協力してこそ乗り越えていけることを知る。
難問が出た時、最終的に全てを見通しから始めるのではなく、取り組みながら解決していく。
やってみなければわからないことが多々あるものだ。手をこまねいていれば助かる命も助からなくなる。
目の前の事を自分たちができる方法で解決していく知恵を持たなければならない。
私たちは日本に住んでいると、あまりを全てに恵まれすぎていて、4キロ離れたところに毎日水を汲みに行かなければ水が手に入らない人がいる事を忘れてしまう。
安全安心が当たり前になりすぎていて、戦争の恐怖や難民の上や病気や貧困にあまり関心を示さない。
でも中村医師は困った人を見過ごすことなく、その地域に入り、その地域の習慣を大切にし、人々と心を合わせ、その人たちができる方法で、それを続けていける方法で支援し続けた。
観ている最中も勝手に流れてくる涙、言葉にならない感動、1人の日本人がやまと魂を振るわせ続けて成し遂げたこと、今一度私たちに命の使い方を問うてくれました。
ぜひ一度ご覧ください。
明日も京都であります。
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参加費1000です。
会場へ直接行ってください。