こんにちは〜今野華都子です。
今日は古事記古事記に日本人の生き方を学ぶ華都子塾の最終日です。
昨夜の山形古事記塾の皆様
一緒にいるだけで幸せに嬉しくなる笑顔です。
「湯河原古事記塾」は14:00からオンラインで開催です。
湯河原古事記塾へ参加の神尾さんは
台湾からご参加です。
ありがとうございます😊😊
今日のテキストは「勝ち佐備」の
第八章
八尺勾瓊之五百津美須麻流珠(やさかにのまがたまのいほつのみすまるのたま)です。
この恐ろしく長い名前の珠は、天照大神の首にかけてある勾玉のことで、天照大神の本質を表すものです。
この珠から須佐之男命の〈いふき〉によってオシホミミの命という日嗣の御子が生まれ、さらにこの命からニニギノ命がお生まれになり天孫降臨なさるのです。
このような重大な意味を持つ珠ですが、今日は言葉の意味からこの珠ののまた本質の意味を考えてみたいと思います。
八尺(やさか)は8尺という数字の意味ではないのはもちろんです。
古事記ての「八」は八百万神と使うように、宇宙も含めこの世の全てを表す、無限大の広さ、大きさを意味します。
やまと言葉は音が同じだと同じ意味をもちます。
弥栄という言葉の弥はもともとは「彌」という字です。
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https://suits-woman.jp/kenjitsunews/204085/
「やさか」の、根源の意味はこの宇宙は無限の活動変化を表している言葉です。自然界、狭く言えば人間界にも日々さまざまなな変化が起こっています。
人は幾多の変化を乗り越えてきました。ここに命を繋ぎ、環境を整えそれを進歩発展とよんだりします。この世の中のありとあらゆる物事は宇宙創生以来無限無尽、無窮の変化を続けてきました。
この世の限りない変化活動は、常に、無数無尽ではなくて、
これに対して
「いほつ」とは、やさかの連続性の、ある時点では跡形もなく消え去っていきます。
有限の特定の形で実現されてその姿を表したのがいほつ(五百津)です。
勾玉もまたこの世に器ものとして存在しているように
人も身体という器の中に「たま・靈、魂」を持っています。
生まれた時から日子、日女として、
いかなる時も自分の生き方を通してこの世を明るく照らす者たち。
ちょうど日の光が全ての命に分け隔てなく、お光を注いでくださるように、
その人の周りは明るく、暖かく、生き生きと活気があり生命力に溢れている。
私達は、人・靈止・日人(ひと)という言葉の通り、
古来、日本人は天照大神の光を感じ、分御魂と自分達を位置づけて生きてきました。
明日12/25日は天照大神が天の岩屋からお出ましになった日です。
明日は一段と寒いようですが、心も体も温かくして、マスクの下でも笑顔で、目から身体からお光を増して生きていきましょう。