ご存知なかただけご存知!

羽黒山伏の最高峰星野先達と今回はこのメンバーと九州高千穂聖地巡りへ

主催の富田美紀さんは博多古事記塾生
そんなつながりで総勢28名のバスツアーになりました。


今回のツアーはかなりレア〜


瀬織津姫へ会いに


神戸に引き続きなにかと瀬織津姫様にご縁かあります。




谷へ下って行く感じ

細い道を歩きます。




行き着くと祠が見えます。
瀬織津姫は川の早瀬におられて罪穢れを払ってくださる神様です。



早瀬に向かって勤行致します。


そして落立神社へ

ここでの祝詞と

地震などの被災者に慰霊言葉の奏上の時は


上空ではすごいエネルギーが渦巻き風を起こしてこずえが皆揺れていました。

神々ご呼応しているとしか思えない状態でした。


(それは次のくしふる神社でも同じででした)




舞開きの石像

夜神楽の中に岩戸開きの神話を表現した「伊勢」「柴引き」「手力雄」「鈿女」「戸取り」「舞開き」という舞がある。その最後の舞「舞開き」はこの世が再び明るさを取り戻した喜びの舞で、両手に月と日を表す鏡を持ち祝い舞う。春の余祝の舞ともいわれる。


丁度太陽が日の玉のところにかかって光っています。



 神楽のように舞い踊る先達




ほんとに自由て軽やかです。


先達はお昼の後で感じる知性を大切にしなさいと15分ほどお話しをしてくださいました。


私もここで古事記の話をさせていただきました。


この神社をお掃除して守ってくださっている方が、パワースポットをおしえくださいました。



一つは神社脇に御神木の間から榊が生え、またたくまに大きくなったところ。



もう一つが参道の途中から見上げると
ハートの空間が見えるところだそうです。




広島古事記塾の小桜恵子さんの写真は光にあふれていました。





そして最後はくしふる神社


古くは「櫛ひ大明神」や「くしふる大明神」と称せられ、また「二上(ふたかみ)神社」、「高智保皇神社」とも呼ばれており、明治4年(1871年)に「二上神社」を正式社名としたが、同43年に「槵触神社」に復した。なお、「槵」が難解な漢字であることから、平仮名で「くしふる神社」と書かれることが多い。

祭神編集

本来は槵触山神体山とするが、現在は本殿を構えて天津日子番邇々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神として祀っている。Wikipediaより

奥の方からエネルギーが来ると先達が仰っていました。


もともと、社殿の奥のくしふる峯のお山そのものを拝んでいたそうです。


裏山には宮地獄社


宗像三女神が祀られています。



ハイポーズ



私はみんなと別れて

熊本駅目指して帰ります。


帰りはマコさんに車で熊本駅まで2時間おくってもらいました。ありがとうございます。

益城を通過した時、まだ、仮設住宅が沢山並んでいました。
なにもかもすっかり元に戻ることは無いのですが、頑張ってくださいね💕🙏



今回のツアーでは山伏修行の皆様が沢山参加されていました。

どの神社でも祝詞、慰霊の言葉を唱え


自然と一体になり心も自由に解放され


先達の自由闊達さにみんな笑みが溢れ

素直さが戻っていました。


これでいいんだ、先達との旅は笑いが絶えない。

こうして幸せを味わうことが大切なのだと感じました。




感謝