小善は大悪に似たり
人間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。しかし、盲目の愛であったり、溺愛であってはなりません。
上司と部下の関係でも、信念もなく部下に迎合する上司は、一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善といいます。表面的な愛情は相手を不幸にします。
逆に信念をもって厳しく指導する上司は、けむたいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることになります。これが大善です。
真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当に良いのかを厳しく見極めることなのです。
ーここまで稲盛和夫OFFICIAL SITE よりーhttps://www.kyocera.co.jp/inamori/philosophy/philosophy31.html
この言葉はさらに
「大善は、非情に似たり」
と続きます。
自分が良い人に思われたいために、
言うべきことを伝えられなかったらただの自己愛です。
親は子育ての時、嫌がっても風呂にも入れれば、歯磨きもさせます。時には苦い薬を飲ませたりもします。
子どもが泣くからとすべきことを教えなかったり、欲しがるものを全て与えていてのでは心身共に健康に育ちません。
中江藤樹先生のお母さんの深い愛情もそうです。
藤樹は近江の小川村(現在の滋賀県高島市)に生まれますが、九歳の時
に武士でった祖父の養子となり、伊予の大洲で暮らしていました。
ある冬、母がアカギレやシモヤケに苦しんでいるという話を聞きます。自分
のいる大洲の温暖な気候に比べ、母の住む小川村の寒さを思うといてもたっ
てもいられず、薬を買って村へ帰るのです。
故郷に辿りつくと、母は降りしきる雪の中、思い釣瓶で井戸の水を汲んでい
る最中でした。駆け寄る藤樹に気ずいた母は、
「男子が一度目標を以て家を出たならば、めったなことで帰ってきてはなりま
せん。私のことは心配せず、大洲に帰りなさい」
と諭し、薬も受け取らず、家にも入れず藤樹を追い返しました。雪深い道を、と
ぼとぼ帰るわが子の後ろ姿を、母は涙を流しながら見送りました。
母の深い思いを知った藤樹は勉学に励みます。http://itazurakko713.blog.fc2.com/blog-entry-563.html
厳しいと思われたり、嫌がられても、泣かれても教えなければならないことが有ります。
それが本当の優しさだと思っています。
魂の磨き愛がきた時よりももっと輝く魂で帰ることになるとおもいます。
経営も人としても同じ
読んでいただきありがとうございます✨🙏
さあ〜
今日も自分からいい日にします。
どうぞよろしくお願いいたします。