「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」ー柿本人麻呂ー


事の発端になるのが「言葉」

では「こと」とはなにか?

時間、空間における森羅万象全てが「こと」です。

「むすひ」によって形と役割が与えられ「もの(物、者)」となる。


全ての「人、物」の中に「靈」があります。
靈「ヒ」は人の根源の光エネルギーです。

「靈」実体に気づき、誠の喜びを分かち合うのが生きること。


言葉は神の御意思の表れなれば、言葉を持った者が「靈止、人」であり、神の言葉が言霊(ことだま)



言葉は、思い、使命、役割を実行する行動の始めとなるもの。


言葉は見えるもの見えないものを動かす。


その時その時で必要な光の波動を音にしたものが言葉


「靈」は私たちの中にあり、全てとつながる元。


人が生きる判断基準は
受け持ちの場で損や得ではなく
良い、悪いだけではない


宇宙の法則という物理、
人の真心という倫理
靈、魂の輝きという審美
慈愛という情

に照らし合わせたいずれにおいても麗しい
という生き方が「受け日持ち」。
その判断基準は元にある「ひ」そのもの。



「言挙げせず」

この世を生きるという複雑極まりなく見える人の行動基準は「ひ」にあり、一つひとつの決めごとを表さずとも、これに基づき真善美を生きることは明白である。

どんな人のどんな場面でも「お天道様か見ていらっしゃる」



外にある「日」と照らし、人の中にある『霊・ひ』と照らしあうことのよって確認しあうのが、
言挙げせずの国 日本人の判断基準です。

自分の中にあり、本質につながる「ひ」「感じ生きることは理屈ではないのです。

「相照らしあい」それは、みんな肚の中にあるから分かるのです。そう生きないとザワザワするのです。



さあ〜
今日もこの命を日本人で生きていきます。
今日も自分からいい日にします✨✨
どうぞよろしくお願い致します╰(*´︶`*)╯♡