◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」-----2014年3月10日 ◆より

明日で東日本大震災発生から
ちょうど3年を迎えます。


亡くなられた方々のご冥福を
心からお祈りすると共に、
本日は改めて、
「人間が生きる意味」「幸福とは何か」
について考えてみたいと思います。


人生には突如として
深い悲しみが襲ってくることがあります。


その時、私たちはどのように現実と向き合い、
対処していくべきなのでしょうか——。


国際文学療法学会会長で
聖心会のシスターでもある
鈴木秀子さんに語っていただきます。


┌────今日の注目の人──────┐



   「その出来事には、
 どんなよいことがありましたか?」
         

   鈴木秀子(文学博士)

     
 ※『致知』2014年3月号
   連載「人生を照らす言葉」より


└─────────────────┘

最近、私が主宰するワークショップに、
ある韓国人のグループが参加しました。


その中の一人の女性がこういう話をしました。


その方には一人娘がいます。
幼少の頃から

「この子の音感は群を抜いている」
「将来、音楽家になるかもしれない」

と評判が高く、両親は考えた末に
地元で有名な先生の下で
バイオリンの指導を受けさせるようにしました。


案の定、彼女は目覚ましい成長を遂げ、
コンクールの入賞経験を重ね、
留学したウイーンの高校、大学では
常にトップクラスでした。


成績表が送られてくるたびに
気をよくした両親は、
彼女の才能をさらに伸ばそう、有名にしようと
電話や手紙で激励し続けました。


そうして迎えた卒業試験の日。


試験で一番になれば、
それなりの社会的地位が約束されていました。


誰もが彼女がその栄に浴すると
信じて疑いませんでした。


しかし、その前日、
彼女は突然高熱を出して、
本番で楽器が弾けなくなってしまったのです。


それからというもの彼女はすっかり自信を失って
バイオリンを手にしなくなり、
たまに弾いても全く音が合わなくなりました。


生きる気力すら失せ、
5、6年経った今日も鬱状態にあるといいます。


両親にしてみたら、
あれほど期待とお金を投じた夢が消え去り、
我が子が鬱になったわけですから、
それは大変な苦しみでした。


ワークショップで私は母親に言いました。


「人生はコインの裏表と一緒で、
 悪いことの中には必ずよいことが隠れているものですよ。
 どんな出来事にも必ず意味があるから、
 それを一緒に探ってみましょう」


しかし、母親には私の言葉に
耳を傾ける余裕などありません。


「よいことなんか絶対にありませんよ。
 こんな辛いことが他にあるでしょうか。
 この辛さから逃れ、娘を救ってもらいたい一心で
 シスター鈴木に会いに来たんです」


私たちのワークショップでは二人一組となり、
相手の体験に耳を傾けた後、一人が


「あなたが体験したその出来事には、
 どんなよいことがありましたか」


と質問するセッションがあります。


相手がどれだけ「ありません」と繰り返しても、
腹にすとんと落ちる答えを引き出すまで、
1時間でも2時間でも、考えるゆとりを与えないくらい
立て続けにこの質問を投げかけていきます。


この手法によって頭で分かっていたことが
本心で受け入れられるようになるのです。


「嫌なことばかりです」の一点張りだったその母親にも
間もなくして変化が表れ始めました。


「そういえば、娘が病気になってから、
 いつも家にいてくれます。
 鬱になっているけれども、
 私たち夫婦は大切な娘を失わないで
 生きていることができますね」


「娘が熱を出したのも、本当は疲れ果てて
 音楽から離れたかったのかもしれません。
 卒業試験にパスして走り続けていたら、
 自殺していたかもしれない。
 いま自分たちと一緒にいてくれているのは、
 大きな喜びだったのですね」


母親はワークショップに来る前、
着ていく服を娘さんが選んでくれたことを思い出しました。


音楽家として立派に自立しなくては
意味がないと思っていた娘さんが、
一人の人間として見た場合、
家族思いの優しさや素直さなど
多くの美点を持っていたことに、
このワークショップを通してようやく気づいたのです。


と同時に、これまでどれだけ娘さんに
完璧を求めて苦しい思いをさせてきたのか、
そのことにも思い至りました。


私は母親に対して、娘さんはもちろん、
彼女に過度のプレッシャーをかけ続けた自分を
決して責めないようにアドバイスしました。


いたずらに後悔するのは
なんの益ももたらしません。


それよりも娘さんが病気を通して伝えてくれた
人間の本当の幸せを味わうことこそが重要だと思ったからです。


レベルの差こそあれ、
生きていると誰もが様々な問題に直面します。


しかし、一見不幸と思える出来事も、
それを掘り下げると幸せの種を見つけることができるのです。


辛い出来事に遭遇した時、
ただそこから目を背けるだけでは
なんの解決にもなりません。


その体験を経て初めて見えてくる
幸福な世界があることを信じ、
現実を受け入れていくことで、
その人の魂は大きな成長を遂げていくのです。


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件名: 【幸せの種を見つける】その出来事には、どんなよいことがありましたか?
◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」-----2014年3月10日 ◆より