好きなものと生きる | kyokoumarchen
それなり を求めた、 テンプレのような、
いわゆる流行っている型、形に、
自分を落とし込んでしまうと、特別に虚しい気持ちになる。今日、なった。


別に、人と違うことをステータスとしたかったり、
個性がうんたら、と、言いたいわけでもないし、
まぁわたしが虚しく思ったのは主に見た目のファッション的なことなので…
作品の話ではない。



今日は梅田阪急に、篠田桃紅さんの「桃紅一〇五歳 好きなものと生きる」を見に行った。
乙女屋さんが勧めてくれたもの。

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とても素晴らしいものを見させていただき、感激。

この本ほんまにほんまにほんまに良い…としか言えない…。
 



桃紅さんの展示を見たこととは関係なくなんだかモヤモヤとしていて、あまり晴れやかな気持ちになれないのでお茶くらいはお金出して甘いものでも食べようと入ったカフェで頼んだケーキが馬鹿でかい。
完食とともに胃もたれ…
だいたいこういう冒険は、うまくいかない。




なんかもう、やってみるしかないよね。
馬鹿でかいケーキを食べることじゃないよ。

でも、もしかしたらそれもそうなのかもしれない。

本当に、いろんなことを。


これまで、その時々は確かに良いと思って、イケてるんちゃうのと思ってやってきたことが、結果空まわり。ということは、ものすごく多い。


だけどそれは確実に経験になっていて、その経験を経ていなければ見えなかったものも多い。


そういうことって基準があるわけでもないし数字として可視化されるものでもないから、解釈とか自己認識とか、そんな頼りないものでしかない。

捉え方ひとつということ。じゃないともう、生きていけない。

スマホを手にしたら、情報が多過ぎて、人のことが見え過ぎて、下らないとわかっていても比べてしまう。


比べ出すと止まらなくなりひどく落ち込んでしまうので、そんな自分にイライラしてきて心の中で叱咤する。
じゃあなんやねん、どないしたいねん、何をぐちぐち言うてんねん!イライライライラ!!!





ひとつひとつ選んで、ときに後悔もして踏ん張って、喜びを知って、そんなこと。一刻一刻が過ぎてゆく。


だから今までそうしてきたように、
ひとつひとつやってみることを選ぶしか、もうできない。
そしてまた何回も失敗したり恥さらしたりして、それもまた学びでした。と、捉えてくしか、わからない。



多分それで、いいんやと思う。思おう、と、桃紅さんの本読み、馬鹿でかいケーキを食べながら、思ったのだった!