iPhoneの写真整理をたまにする。作品写真がかなり多い。
加工前、加工後、あるのでiPhoneの容量がほぼ写真に食われる。
パソコンに移したりもするけど、三年くらい前の作品写真は加工前のを消していく。
かなりの枚数ある。その作品のほとんどがもう手元にはない。
売れたんやな。と思う。
今見返すと未熟な作品も多いけれど、感性的な意味で絶対に今はもう作れない貴重なものたち。
でも、そもそも、ここでいう未熟ってなんなの。
わたしは職人ではないから、決定的な、セーフ・アウトがあるわけではない。
技術の甘さというより無知が招いた誤りはあった。そういうのが、未熟やな。
今の感性と合わない=未熟ではなくて、その時伴っていた考え方が未熟。それは作品に出るよね。作品はほんまに正直。
岡本太郎の、
「未熟=マイナスではない。自分が未熟だからと消極的になってしまったら未熟である意味がなくなってしまう。」
この言葉で前に進めたことは多い!
作業的にこなすようになっていた時期があったなぁと思う。
こなしていくことも知らないと容量は悪い。間に合わない。
大切な方々が、
ベターよりベストを尽くす!という姿勢で挑んでいる。
わたしはその言葉を何度も呟く。
作品に対して、
「これ、ほんまにベストなん。ベターなんちゃうん。」と、問う。
作品そのもの、周りとの調和、全てが関わる。
作品が答えを返してくれるのは即!のときもあるし数日後なときもある。
どこかで判断をしないと一生作品は仕上がらない。
その時のベストを尽くすのみ。
これまでの感性の積み重ねみたいなのをベストの形にしていくその過程はほんまにほんまに尊いよなって思う。
自ら何かをする人の、試行錯誤その全てに対して思う。
でも、そんな繰り返しだと作業的にこなすことはできない。できるのがプロなのかもしれない。
自分は甘いなぁと思うこともあるけど。
奈良さんの言葉。職業としてではなく生き方として選んだ、と。
わたしもそうありたい!
WABARAやって啓司さんの大切な思いがこもった作品。てゆうかもう魂そのものみたい!
それを、こんなにも深く理解して美しく扱えるお店は、ひいき目抜きにしても他にないと思う。
そういう空間があってくれて、本当にうれしい。
明日のWABARAを楽しむためにも引きこもっているんやから、やるしかないっ!