正直ブログに載せるのやめようかと思いましたが、被災者と会って話をして載せる事にしました。

ある日恵俊彰さんの「ひるおび」を観ていたら、原発より北に25kmに位置する南相馬市の市長の悲痛な声が耳に入ってきた。

それからネットで色々調べてみて、司会である恵俊彰さんと連絡を取り詳細を確認。

しかし原発の25km地点。30km圏内。モニタリングデータも確認。

それとネットで色々情報を収集。

行ける!

と思ってから早かった。

何人かの友人や先輩に連絡を取り、協力を募り車を手配し準備を始めました。

買い出しに出掛け困った事「お一人様一品」と言う文字が壁になり何件か廻る事に。

そんな中「救援物資で持って行きたいんです。」って言ったら「OK」してくれた薬局のお兄さん。

ありがとう!

次の日には「これも持って行って!」と恵さんより宅急便が届いた。

そして

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レトルト食品や大人用オムツや、南相馬市役所に問い合わせて出来る限り揃えました。

次の日まで時間があるので、松岡英明くんの家に寄り待機させて貰った。

翌朝から南相馬市へ。

東北道を北上。

被災地に近くなると、地震の爪痕も残っており改めて恐怖を感じた。

福島西インターを降りると、消防車や自衛隊の車が列をなしている。

山道を道なりに進むとコンビニとかあるが商品は少なく、遠慮させてもらいました。

ガソリンスタンドは「売り切れ」の看板が出てる。

残り40kmくらいになった所に、大型ホームセンターがあった。

そこには豊富な品々が、、、しかし南相馬の方々はガソリンがなく来れないのであろうと感じた。

そこで長靴を男性用、女性用と購入しました。

ホントはもっと買いたかったが車に積めないので諦めました。

そのまま進むとパトカーが止まっていて警察官がドライバーに声を掛けている。

僕も警察官の横で車を止め窓を開けた。

警察官「ここが原発より30km地点になります。20km圏内は危険ですから、入らないようにして下さい」

僕「南相馬市のに救援物資は持って行けるんですよね?」

警察官「大丈夫です。気を付けて」

鼓動が早くなるかと思ったが、それは感じなかった。

そして南相馬市内へ。

街は静まり返って、見た目にはそんなに損傷は見られない。

そしてどんどん進んで行くと、自衛隊車が数多く停車している。

少し体が強張るのを感じた。

その横に区役所があったので中に入る事に。

車を停め中に入ると、20人くらいの職員が対応におわれている。

掲示板には「昨日発見の死亡者リスト」が貼られてあった。

壁という壁には「避難所別、避難者リスト」

ここに来てやっと僕は、被災地に来ていると実感しました。

職員の人を見つけ「救援物資の受付口」を教えて貰い移動。

車で少し行った体育館が救援物資受付場所。

重い扉を開けたら、中には救援物資が体育館中に置かれている。

大分届くようになったんだと思い少し安心した。

原発の事もあるので皆「マスク」をしているかと思っていたが、半分くらいの人しかしていなかったので、僕もマスクは外し職員の方に声を掛け体育館の横に車を廻し、物資を下ろしていると。

職員の方に「金山さん」って声を掛けられ、記念撮影。

何だか和やかな空気が流れました。

物資を下ろし終わると「本当に有り難うございました」と深々と頭をさげられ恐縮し僕も深く頭をさげた。

少し話したところ、物資はここ2~3日で大分届くようになったそうです。

しかし宅配業者が隣の街「相馬支店」(原発より北に約50kmくらいの位置)までしか来ないようで、取りに行くにもガソリンが少なく中々行けないようです。

何の物資が足りないか聞いてみたら「女性用と男性用の下着、肌着」だそうです。

それから名簿に名前等を書いて、体育館を後にしました。

それから津波被害にあった街に足を入れてみた。

陸前高田や気仙沼の映像を見ていたので、想像はつきましたが、、、

しかし酷い状態です。

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「津波」は家や車だけでなく、そこに住んでいる方々から全ての物を飲み込んで行ってしまった。

僕は天を仰ぎ息さえも変な間隔でしか、出来ませんでした。

その後南相馬市を後にして、帰宅しました。

帰り道。「もっと持って行ってあげたかった」と言う言葉しか浮かんできませんでした。

それから最後になりますが、今回声を掛けて快く協力してくれた

九州大衆演劇会会長 玄海竜二さん。紅あきらさん。

恵俊彰さん。松岡英明くんと松岡くんのお父さん。お母さん。国分佐智子さん。

コピーライターで友人の後藤国弘さん。

菊池健一郎くん。三橋潔くん。

バンドの貯金も今回持って行きました。

原田喧太。NATCHIN。佐藤公彦。

そして福岡の河村家具社長 河村和範さん。

お礼と感謝の気持ちでいっぱいです。

これから5年。10年。復興には時間がかかる事でしょう。

原発の問題もいつ終わるかわからない。

「思いやり」の気持ちを大切に生きて行きたいと思います。