読んでくださっている方へ
私みたいなものに貴重な時間を割いてくださり本当にありがとうございます。
今回、私の感情(喜怒哀楽)は、何を理由に、どういう理屈で湧き起こるのかを考えてみました。
「喜」の感情について
たとえば、欲しかったものが手に入ったとき、期待した通りに物事が進んだとき、関わる人が喜んでくれたとき
このようなときに私は喜んでいたと思います。
言い換えれば、私が期待した通りの結果になったときに喜ぶと言えるのではないかと思います。
「楽」の感情について
たとえば、欲しいものを探しているとき、期待した通りに物事が進んでいる最中、関わる人が喜んでくれるかもしれないと考えながら準備をするとき
このような時に私は楽しんでいたと思います。
言い換えれば、、わたしが何かをしている最中に、その内容に満足できていると楽しいのではないかと思います。
「楽」と「喜」は似ているような気がして、違いを明確にするために、事例を共通にしてみたのですが、
同じ言葉を使うと違和感がありました。
その違和感が無くなる表現に変えてみると、違いが見えてきたように思います。
「喜」は、結果に対しての一時的な感情で、「楽」は進行中の過程に対する感情で、一時的なこともあれば、継続的なこともあります。
また、
喜びは結果が(主観的に)良いならば得られる感情で、
楽しいは、たとえ結果が悪くとも、そこまでに得られる感情なのだと思います。
これを考えた時、私は今まで「楽しい」ことの未来には「喜び」を期待していたことに気付きました。
楽しいことの先には喜びが待っていて、必ずセットになっていることが当然だと、無意識に考えていたと思います。
そのため、結果が喜べない場合を想定していなくて、
過程(状況)が楽しければうまくいくはずだと、楽観する傾向があったと思います。
そして、結果が喜べない内容だったときには、現実を受け入れず、焦り、慌てていたように思います。
私が楽しさを感じているときは結果に対して油断していると捉え、
そんな自分の感情に気付けるようにし、気を引き締めてリスクを想定できるように意識を向けたいと思います。
長くなるので、次回以降で「怒」「哀」について触れたいと思います。
今回もありがとうございました。
※
今回のテーマに至った経緯についてです。
先日より、腫れ物に触ることをテーマに2つブログを書いておりましたが
そのなかで、不機嫌な相手の存在がありました。
不機嫌になっている相手のことを考えようとしたとき
そもそも、感情というものについてちゃんと考えたことがないということに気が付きました。
自分の喜怒哀楽という感情は何を原因として、何を元(素)にして、どういう理屈で発生しているのか。
感情という存在は認識していましたが
感情が湧き起こるにあたって理由があり、その感情に至る理屈が存在していることは認識していませんでした。
どんな理由で、どんな理屈で自分が怒っているんだろう、笑っているんだろうなんて、そもそも考えたことがありませんでした。
しかし、不機嫌な相手のことを探ろうとしたとき、
そこには理由や理屈がある前提で考えようとしていました。
他人にはあって私には無い?
そんなはずはありません。
自分のことすらわかっていない人間に、他人のことを考えることなどできないと思い、
今回のテーマを考えるに至りました。
当初、このブログの書き出しをこの経緯で始めたのですが、
いつまでたっても本題に入れないことに気付き、読み手からするととても面倒な内容だと思い、
後半に持ってきました。
コミュニケーション能力の低い私は
細かく説明することで誤解が無いよう、分かりやすくなるように文章を書きますが、いつも長くなります。
目指すべきは短い文章でも核心をついており、誤解も与えない文章です。
また長くなりましたが、徐々に、勉強しながら改善していきたいと思います。
お時間を割いてくださりありがとうございます。