読んでくださっている方、私みたいなものに貴重な時間を割いてくださり本当にありがとうございます。

 

 

先日の投稿で腫れ物に触るように人に接してしまうことを書きました。

 

読み返してみると、私が何を伝えたかったのかが全然わかりませんね。

いただいたコメントを読んでハッと気づかされました。

 

読んでくださった方の時間を取ってしまって申し訳ないという気持ちになりました。

 

あらためまして、考えを明確に示します。

 

私が人に接するときに腫れ物に触るように接していることがあり

それは必ずしも良いことではないと感じており、どうにかしたいと考えています。

 

なぜ良くないと感じているのかというと

相手が不機嫌であるときに、前のめりに、積極的な行動で解決するのではなく

様子を伺って相手の状態が変わるまで待つことでしか解決しようとしない姿勢があまりに受け身であるし、

自分がコミュニケーションを避けていると感じるためです。

コミュニケーションを避けている状態がよくないと思うのです。

自分でそう思うにもかかわらず、実際にやっていることに情けなさを感じます。

 

理想的な姿は、私が苦手と感じる「相手が不機嫌であること」に対して積極的に働きかけて

その私が苦手な状態を解決できることです。

 

前回その糸口として気付けたことがありました。

相手の反応によって傷つくかもしれない私のことばかり考えているからそのような行動をするのだ、ということです。

 

たとえば

私はどのように言われても、思われても関係ない、

相手が不快であろう様子が見られるなら、それを私が解決することで相手のためになるなら何ができるだろう、

このように考えられたら、行動が変わるのかもしれないと考えました。

 

どうしたの?

なにがあった?

なにかできることはないか?

 

このような声かけは必要なことだとも思います。

相手の状況を知らないと何もできないと思うからです。

ただ、がんばってこのように声をかけたことはありますが、うまくいったことがあまりありません。

 

それはなぜかを振り返って考えてみました。

きっと、声をかける目的が、相手の不機嫌を解決するためというよりも

私がストレスを感じる状況を改善し、私のストレスを減らそうとしていることになっていて、

それがにじみ出ているから本当に心配していると感じてもらえなかったのではないかと思います。

 

または、声かけをして反応が悪いと、そこで引き下がってしまい

さらに踏み込むことをしないために、結局何の解決にもならなかったのだと思います。

 

相手のことを本気で思うなら、引き下がっている場合ではなかったと思います。

あまつさえ、「私は一応なにか対応をした」という事実を残したかったのかもしれません。

そう思うと本当に残念な人間です。

 

踏み込もうとして拒否されたとしても

しつこいくらいに食い下がってぶつかり続ければ、何か見えてくるかもしれません。

確かに、そういうことを私はしてきていませんでした。

自分のストレスに焦点を当てているなら当然かもしれません。

 

相手の問題解決に焦点を当てれば、見えてくるまでぶつかり続けることが

相手はその瞬間は不快でも、結果的には解決につながることでそれは優しさになるのかもしれない、

今後はそのように発想を転換してみます。

 

無意識的にストレスを避ける癖を自覚し、それに立ち向かうこと、

やはりこれが今の自分の一番大きな課題です。

 

課題に立ち向かっていきます。頑張ります。