読んでくださっている方へ
私みたいなものに貴重な時間を割いてくださり本当にありがとうございます。
先日にも太宰治の人間失格を読んでの感想を書きました。
それは幼少期の主人公の生き方に焦点を当てましたが、
その他に私の印象に残ったのが第三の手記のパートの友人堀木との会話で出てきたこの言葉です
「世間というのは君じゃないか」
女性に頼ってヒモ男のように生きているように見える主人公を
友人の堀木が諭す(もしくはからかう)ときに
「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」と言い、
それに対して主人公が思ったのが「世間というのは君じゃないか」というこの言葉です。
私自身、世間というものに気を使って、ときには怯えて生きてきた節があるのですが
あらためて世間とは何だろうと考えさせられました。
世間とは、(得体の知れない)他人の目のことで、
世間とは、多くの人が共通して持つ「普通」の意見の集合であるように
感覚的に認識していました。
そのため世間という言葉を聞くとほとんど疑うことなく多数派の意見であるように感じていました。
しかし、上記のセリフの通り、その世間というのは個人が自分自身の意見を発信する際に
あたかも多くの人が考えていることを代表して述べているかのように思わせるために使われている言葉なのかもしれません。
実態として多くの人に共通する意見であるかどうかは別として
世間という言葉を使えば多数の意見であるように思わせることができるのかもしれません。
もちろん、一定数の人が共通して考える意見という事実もあると思いますが
言葉の使い方によっては上記のような使い方もできるし、自分にも使われてきたことがあるかもしれません。
当たり前のように考えていたことが当たり前でなく、疑う余地があることを知れた具体例でした。
長いものに巻かれやすい考えの持ち主である私にとって気をつけるべき気付きだと思いますので
この言葉を大事にしたいですし、このような考えをもてるようになることも課題として生きていこうと思いました。
最後まで読んでくださりありがとうございます。