今日(11月14日)、千種小学校体育館で、第1回千種まちづくり「アンケート報告会・意見交換会」がありました。結構寒い中、約60名くらいの方が参加してくれました。
 今年初めに、千種まちづくり推進委員会と連合自治会、市民局が合同で、千種町全住民にまちづくりのアンケートをさせてもらいました。
 コロナもあって、その後、なかなか進みませんでしたが、ようやくアンケート報告会にこぎ着けました。
 アンケートの回収率が92%というのは、非常に高い数値だそうです。(普通は良くても7〜8割だとか。)
 また、地元の千種高校生が独自で小中高校生のアンケートをやってくれて、今日も生徒会の人たちが多数参加してくれて、とても前向きな意見を言っていただき、参加者を前向きな気分にさせてくれました。
 今日は、1回目だったので、夢のような話もたくさん出てきましたが、2回、3回と回を重ねて、できることを絞っていければいいでしょうね。
 
 そんな中で、やはり思うことは、
 
 この取り組みに県から地域づくりアドバイザーの方に来てもらっています。とても適任の方で、それも大いにあって、こうして事が進んでいるのですが、この方は、都市地域のまちづくりにも大いに関わっておられます。
 都市のまちづくりと、千種のような中山間地域のまちづくり とでは、根本的なところが違うだろう ということです。
 それは、都市地域は、とりあえず人はずっと住み続けるだろう、そんな中で人のつながりをどう作るか、どう盛り上げるか、どう暮らしやすい町を作るか、ということがテーマになってくると思います。
 しかし、こちらのような中山間地域は、「このままいけば、どんどん人は減り、いつかは廃村になってしまうのではないか」という現実です。
 どうすれば、この町が続いていくのか、人が住み続くことができるのか〜。それが根本テーマとなって来ます。もちろん、今、住んでいる人がより暮らしやすくなるということも大事なことですし、高齢になってどうやって助け合うかなども大事なことです。
 でも、どうやったら若者が住み続くことができるのか。それが根本的なテーマであり、それは、都市地域とは全く違う取り組みが求められてくるのではと思います。
 おそらく、地域だけでできることは限られていて、もっと対外的な動きを伴うことをしていかなければ難しいのでは。そう簡単なことではないですが〜。なにせ、日本中の中山間地域が同じ状況ですから。
 そんなことを思います。
 そこまでの動きを考えていくのか。それとも、今住んでいる者たちが、より暮らしやすくなるというところだけで考えていくのか。
 
 今日、参加されていた行政関係の方が言われてました。「考えてみれば、自分たちはずっと人口減少対策としていろいろとやって来た。でも、結果がこれだ。自分たちがやってきたことは間違っていたのだろうか。昔は、人口が減るなんてことは考えていなかった。昔からその視点を持っていれば違っていただろうか〜」と。ちょっと考えさせられてしまいました。
 
 そう考えるならば、今は、「このままいけば廃村になるぞ」 ということをまじめに考えていかなければならないのではないか。まだ、そこまで真剣にここ住む人たちが考えているかと言えば、私を含めてそうではないのではと思います。そこそこ年のいった者は、「自分はそこそこでいなくなるし、あとのことまで分からない」と。では、今住んでいる若い人たちはそのあたりどう考えているのだろう。「どうしたらいいか分からないけど、ここに住みたいから住んでいる」だろうか。
 だから、住み続けるのは無理だと思って、ほとんどの若者は出ていくのだろうか。
 
 そのあたりの現実をそろそろしっかり考えていく。「廃村になる」「千種がなくなる」「日本から田舎がなくなる」・・・
 
 「それはないだろう〜〜」
 
 「じゃあ、誰が住んでる?  どんな様子になってる???」
 
 
 そう、今日出してくれた資料の将来の人口推計。
  千種町
  2020年 2,473人(内、15〜64才1,212人)
  2045年 1,065人(内、15〜64才 304人)
 304人ということは150世帯くらいだろうか。 千種町全体で64才以下の者のいる世帯が150。これだけでは、もう地域の維持は無理ではないか。80才以下くらいを含めれば、まだもう少し人数は増えるので、とりあえずはまだ廃村にはならないだろうが、それからもう15年、2060年になれば、実質150世帯以下に。
 そうなれば、一気に廃村に向かうのではないだろうか。もう、あと40年先の話だ。今、30才の者が70才のとき。まだまだ暮らしたい時だ。
 
 「今、宍粟市の最大の課題は人口減少対策だ」とよく言われます。ことあるたびに言われる。
 私はそれにとても違和感を感じてしまう。
 申し訳ないけど、宍粟北部はそんな悠長なことを言っている状況ではないのでは。人口減少対策 ではなく、 廃村阻止対策 ではないか。 どうやって、人口の底を作るのか。 
 人口は減る。 それは残念ながら間違いない。 でも、減り続ければ廃村になる。 それでいいのか。 日本中の田舎が廃村になれば、 日本から田舎がなくなってしまっていいのか。
 そんなことになれば、日本は終わりだ。と私は思う。
 どうやって人口の底を作るのか。どうやって、田畑を維持するのか。山を維持するのか。
 
 
 今日のまちづくり集会の高校生の前向きな話から、一転、深刻な話になってしまったが、
 私は、ここに対して、一つの希望を持っている。
 それは、例えば 『農家の公務員化』だ。あるいは『半公務員化』。
 
 結局、ここに住むには仕事が必要。そして、工場に来てもらうのは実質無理。(以前、田舎に町工場がたくさんあったが、それは、安く働いてくれる人が多くいたから工場が来てくれた。工場があったから人が来たのではない。)
 やっぱり、ここの仕事は田畑であり、山なのではないか。 そして、それは、日本人の食料自給や環境を守るという意味で、すべての農地や山は本来守らなければならないモノであり、そこには大義がある。
 だから、農業、とくにコメ・麦・大豆などの農地を守る農業は公務員が請け負う。あるいは、企業努力が反映される半公務員がいいかもしれない。(そして、農地も究極、公地にする。)そうすれば、人口の底は作られ、地域はきれいに維持される。そうしてでも、守っていかなければならないものではないかと私は思う。
 そうして美しく守られていれば、他の仕事の人もこの地に住む人は出てくるだろうし、都市との交流も生まれるだろう。今よりも人口はぐっと減るだろうが、豊かで落ち着いた田舎が新たに作られていく。祭りや自治会の形態も変わるだろうが、人が住み続けるのだから新たな形でまた作られていくだろう。
 15〜64才が150世帯でも、それがみな「農業公務員」ならば、それ以上は人口は減らないし、地域は美しく維持され続ける。そうなれば、それを底にして、もっと人口は増えていくだろう。
 他にも方法はあるかもしれない。要は、中山間地域において、若者が農業で食べていけるようになること。それも、競争に勝ったところだけでなく、すべての日本の農地で食べていけるようになること。その方法を考えること。
 (宍粟市だけの財源では難しいが)決してできない話ではない。
 
 まちづくり集会を考えていくと、やはり、このような結論に至ってしまうのです。