次男が帰ってきた。

Mちゃんの結婚式ムービーを見せた。

「あの時、膝走り鬼ごっこしたMちゃんだよ」

次男は

「えーっ!めっちゃキレイじゃん。

何このムービー、えぐっ!プロが編集したんだよね?ヤバすぎ」

言いながら見ていた。

そして

「最後の方切れているから続き見たい」

と言った。

友達に

全編ムービー、そして二人の出会いからこれまでのムービーも送って貰った。


主人は

この手のモノはいつも見ない。

「他人のそんなの見てもしょーがない。興味なし」

とチラ見で終わるのに、

今回は違った。

すぐに止めるかと思ったのに

食い入るように見ていた。



ムービーには

Mちゃんが車椅子で過ごす場面があった。

あれ?

何だろう?

カッコいいんだけど!!

いつも仕事で見慣れている車椅子と何らかわりない普通の車椅子なのに

カッコいいスポーツカーに乗っているような

そんな錯覚さえするのは何故?


Mちゃんが

ママに云った言葉を思い出した。


「この体だから発信出来る事がある。

ママからブランドを貰ったと思っている!」


友達がMちゃんに渡した育児日記。

友達は

それを読み返して

「あの時の私に謝りたい。

こんなこと思っていたんだ。

こんなに頑張っていたんだ。」

と云った。

育児日記を渡したのは


頑張っていた過去の自分自身のため。

Mちゃんに

愛されて育った証を渡したかった、、、、。


迷い、苦しみながら

全力投球していた過去の自分がいたから

だから今がある。


そう、

友達は

Mちゃんが自立して家を出る日、、、、

最後の頁に綴った

「生まれてくれてありがとう」

の中には

隠されたメッセージがあった。


そう、

それは

あの時、頑張ってくれてありがとう。

貴女の書いたメッセージは

Mの力になったよ、、、、これから先、くじけそうになったら読み返すでしょう。


過去の自分に宛てたメッセージ。


友達は

「◯年前の自分に恥じないように生きていかなければ」

そう誓って

Mちゃんの背中を押した。


母としての彼女は

ずっと

Mちゃんを後ろから支えていた。

Mちゃんを引っ張っていけないから、と。


だから、Mちゃんは

いつも、いつだって、

安心して冒険出来たのだろう。

後ろに確かな愛を感じていたから。


友達が

Mちゃんの病気を治すために

必死で治療法を探していたのを

覚えている。

迷い

苦しみながら

それでも愛情だけはたっぷり与えていたことを

覚えている。

Mちゃんだけでなくどの子にも愛情たっぷりで

まだ母親どころか

結婚すらしていなかった頃から私は

母としての彼女を尊敬していたことを思い出す。



身体の障害

心の障害

何らかの障害や

困難を抱えたお子さんを持っている親御さんに

伝えたい。


今はうまくいかなくても

目の前の出来る事を

頑張っているなら

きっと、いつか

未来の自分から

「頑張ってくれてありがとう」

ってメッセージが届くだろう。


苦しくても

頑張っているなら


子供が大人になった時

障害は、きっと

ブランドになる。


最近

色々な事に傷ついていた私だったけど

未来の自分が

今の私に

「頑張ってくれてありがとう」

そう言えるような生き方をしたい、と

思うのだ、、、、。


蛇足………

育児日記といえば、、、次男が自分の育児日記を読んで

「何これー?動物の飼育日記みたいじゃん。

怪獣みたいだな。

よく死ななかったな」

と言った。


あの頃の私に言いたい。

「次男を死なせずに守ってくれてありがとう」

( =^ω^)、、、、