子連れで泊まりがけで遊びに行った友達と

すごーく久しぶりに会った。

最後に会ったのは

6、7年前。

昔はいつもいつも私が道を間違えて

迷って

なかなかたどり着かない私を迎えに来てくれたYちゃん。


今回は

うちのすぐ近くまで来てくれることになった。

Yちゃんは

道に迷ったり間違えたりする人じゃないから

早めに待ち合わせ場所へ。


と!

まさかの

、、、、道に迷っているLINE(^^;

「今どこ?わかった!じゃあそこにいて」

昔さんざん私が言われた言葉。

初めて私が迎えに行った( =^ω^)


私の行きつけの店へ。

ランチ時混んでいた。

予約しておいて良かった。



目の前に座るYちゃん。


久しぶりだねー☺️

、、、、という感じが全くしない。


いつもそうだが

仲の良い友達と会うと

何年空いていても

あれ?昨日まで会っていた?、、、、という距離感の近さ。


本当の友達は

物理的な距離や時間は関係なく

心の近さなんだろうな。


実はYちゃんのことをずっと心配していた。

何かあったということは

電話やLINEで聞いていたが

詳しい事は会わなければ話せないと言われていた。


人とのお付き合いは

大人になればなるほど

「何があったの?話して」

と言えなくなる。

話したくないこともあるだろう。

踏み込んではいけない。

自分から話してくれることだけを聴こう、、、、、、、、

そんな風に

気遣い、お利口になっていく、、、、が

ある人に言わせれば人間関係が希薄になっている証拠だとか。

私は

相手の傷に寄り添えないからここは触れないでおこう、と

そんな大人の付き合いが増えた。


が、私が凄く凄く悩んでいた時

親しい友達から

「聴くよ」と言って貰えた時

「話していいんだ?気に掛けてくれているんだ?」

ほっとして力が抜けた経験から

心が隣だと思う友達が悩んでいる様子の時は

敢えて触れない、、、、のではなく

敢えて触れるようにしている。

だって

友達じゃない?話してよ、

楽になってよ、、、、

という気持ち。



Yちゃんにはすぐに言った。

「どうしたの?何があったの?」

Yちゃんは

事の顛末を時系列に沿って話してくれた。

あまりのショックや

あまりの失望を感じた時

頭の中で

何かが切れる音がした

「ブチッ」と音がした、、、、、よく小説や漫画に出てくる描写だけど

あれは本当だった、、、、と言った。


Yちゃんの話は衝撃的だった。


どこまでも

淡々と

問題を分析しながら

その時の心情を話してくれた。

頭が良くて、常に理性的なYちゃんは

やっぱり

伝え方や説明が上手いな、、、、、ぐちゃぐちゃでどうしようもない、そんな話でさえ、聴く私が理解出来るように話してくれた。


Yちゃんには

私は感情に支配されては、これまで何度助けられただろうか。

私の主語も述語もない話を

理路整然と聴いてくれた若い頃を思い出す。

どんな時も受け入れてくれた。


ポッチャリしていたはずのYちゃんは

すっかり痩せてスマートになっていた。

大変な目にあい、

今も気持ちの上ではそれが続いているはずだけれど

全然年を取ってなくて

むしろ可愛くなっていることが

救いだった。


問題を大まかには聞いていたので

老け込んでやつれていたらどうしよう?、、、、と内心思っていた。


感情はどうであろうと

マイナスに引っ張られない生き方をしているということだろう。

Yちゃんらしいと思った。


Yちゃんは

「私ってこんなに冷たいと思わなかった」

そう言うが

全然冷たくなんてない。

寧ろ優し過ぎる。


優しさの上には

付け上がる人がいるものだ。

そして

世の中には

「バカ」がいて

その「バカ」を騙す「性悪」がいる。


因果応報。

Yちゃんが

これまでどれほどの大きな愛を持って

人に愛を与えてきたか

私は知っている。


Yちゃんは

これから幸せになる法則があるのだ。



そして

、、、、「バカ」?

今までYちゃんにして貰ったことを考えてみて。

私は

いつでも「バカ」を蹴飛ばしに行く用意はあるよ。



そして

「性悪」?

へえー「幸せ」だったんだ?知らなかった。

でも嘘だらけの「幸せ」は

あなたが

やがて壊すことになる法則。

誰かを不幸に陥れた「幸せ」は

蜃気楼に過ぎない。

「バカ」もバカだけどさ

「性悪」は

地獄に墜ちろーーー( =^ω^)




Yちゃん、ファイテン(o^-^)尸

私はいつも味方だからね!