「⚪⚪さんのことでご相談したいことがあるのですが、お時間宜しいでしょうか?かけ直したほうが宜しいでしょうか?」


クライアントの娘さんに電話をする。 


「はあーっ、、、またですか?さっさと用件を言ってください。お嫁さんが見てるんだからそっちに言ってくださいよ!」

この娘さん、いつもこんな感じである。


自分の親だよね?

「またですか?」というのは、しょっちゅう電話している相手に言うのでは、、?


数か月に一度の、
実の親に関する話を
5分するだけでもイライラするらしい。


本来は家族がやらなければならないことを、
制度の枠組で出来ないことを、
関わる人が「ボランティア」でやっている。
ボランティアに感謝はなく、 当たり前だと思っている。


勘違いしている人たちがいる。

自分の親の責任は
自分がとるのが当たり前。

関われないならば、
施設に入れる。


親を大切にしてくれる施設を探す。


特養の順番は、

実子が「本気」で担当ケアマネやケースワーカーなどに切羽つまっていることを訴えれば
優先順位は上がる。


一番駄目なのは(あえてダメという言葉を使う)

自分の親の面倒を、
自分の妻にやらせて (これが一番多い)

「うちの親は家にいられる」
と勝手に思い込んでいること。

これが通用するのは、
介護される親が、
認知症でない場合と、
元々の関係がよく、
妻が、無理なく、希望する場合。

ごくごく稀に、
「母娘」だと思っていたら、「嫁姑」だった、、、ということがある。

若いときから、自分の息子よりお嫁さんを大事にしてきた姑がいる。

そんな姑は、酷い認知症になっても
お嫁さんの顔だけはわかり、
「ありがとう」を絶やさない。
認知症が進むと
元々の性格が強く出る傾向がある。


人は生きてきたように年をとる、、、

人が集まり、愛される認知症のおじいちゃん、おばあちゃんは、

人を愛し、幸せにしてきた、、、、。


そんな人たちは、
在宅介護だろうと
施設介護だろうと、

人が集まる。

幸せが集まる、、、、その集まる人や幸せは、
その人自身がまいてきた種が
花になって戻ってきている。


在宅で糞尿まみれになり、
暴言吐いている親がいたら、、、

実子のみで集まって話し合って欲しい。


長男の嫁がみるのが 当たり前、、、、 こんなことを思っているとしたら
時代錯誤も甚だしく、
恥ずかしいことだと認識してほしい。


すぐに施設に入れないならば、
実子が、
可能な限り実家に行き、

自分たちの親の面倒を見ているお嫁さんを
介護から開放してやってほしい。

記事の最初に出てきた娘さん、

自分の親の介護は
弟のお嫁さんにまかせ、
自分は
「キャリア・ウーマン」らしい。

「弟は長男だから。その妻が見るのは当たり前。私はやらなければならない仕事が沢山ある。
休みの日は子供の所に行ったり、忙しい」

その長男は、また仕事が忙しくて
介護に携われない。

実子二人が無理なら、
必死で施設を探すしかないでしょう!!

その気になれば、
特養が空くまで安く入れる有料もある。


順番について役所に掛け合うこともない、
他の施設を探すこともしない、
たまに会う子供には
しっかりした顔を見せる認知症特有の症状にすっかり騙され、
介護の大変さを訴える長男の嫁を 批判するようなことを言う。


外に出ている実子は、
自分の生活があるため、
親の介護は無理だと言う。かといって施設も探さない。

それね、

長男のお嫁さんにも、
自分の生活があるんですけど!

自分が自分の時間を尊重するなら、
お嫁さんから
時間を奪わないで欲しい。


自分の親。

自分が出来ないことを

嫁に押し付けるのは

ダメ!!!

お嫁さんの自己犠牲の上に成り立つ介護は、

お嫁さんへの虐待。


親も幸せではない。


私が働く事業所の施設は、
地元だけでなく、
遠方からの方も入っている。

そう、本気で探せば、
入れる施設はあるのだ。

うちに入った認知症ばりばりの方は、
幸せそうに過ごしている。
家族も幸せだと言ってくれている。


この夏の暑さは、

認知症を悪化させる。

認知症介護を
長男の嫁にさせ、
それが当たり前というなら、

1週間、
いや、3日間でいいから、
試しに世話してみたら良い。


認知症介護は、

時に生きるエネルギーを吸いとられるほど
苦労があるということを
理解できるだろう。


どんなに田舎に住んでいようと、

関係ない。

スマホを持ち、
時代の流れに乗って生活しながら、

介護だけは
長男の嫁、、、
頭だけ石器時代はやめてほしい。


本当はわかっているはず。
面倒なことから逃げているだけ。