山口市香山町、現在工事中「国宝 瑠璃光寺五重塔」、「長州そば処 東京庵」・そば寿司 | La vie est un voyage

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 親子3人旅

 山口市観光

 自家用車で周っています

 

 

 瑠璃光寺のある

 香川公園前の

 駐車場に止め、

 まずはランチ

 

 

 門前の蕎麦屋

「長州そば処 東京庵」

 

 賑わっていましたが

 13時を過ぎていたためか

 すぐに座敷席に案内されました

 

 やっぱり名物を頼むよね

 

 

 そば寿司(一人前 10切れ)

 

 両親は小食なので、

 2人前を3人で

 

 

 一般的な巻き寿司の具を、

 蕎麦で巻き、

 薄い玉子焼きで巻き、

 海苔で巻いてます

 手間がかかっていますよねぇ

 

 

 それを酢入りのそばつゆ

 形が崩れるギリギリまで

 たっぷりと浸して頂くと美味しい!

 

 そば湯も頂き

 空腹を落ち着かせてから

 

 

 

 長州そば処 東京庵

 場所:山口県山口市香山町6-16

 

 

 

 

「香川公園」内へ

 

 

 こ、これは・・・

「国宝 瑠璃光寺五重塔」は

 現在工事中~

 

 70年ぶりの

 檜皮葺屋根の全面葺き替え中です

 

 どうしてこんな時期に、

 ニューズウィークは 

 「2024年に行きべき52か所」に

 山口市を選んだんだろう???

 

 葺き替え工事のことを知らなかったのか??

 

 

 

 2026年3月には

 このようなお姿を見せてくれる予定らしい

 (画像は山口県観光サイトより、お借りしました)

 

 

 

 山口市は

 大内文化が残る町と言われています

 

 大内というと

 山口県民にとっては

 大内人形

 (画像はお土産処長州苑のサイトよりお借りしました)

 

 

 ざっと大内家の歴史

 (ヒマか)

 

 1360年ころ(南北朝時代)

 周防・長門の守護大名に命じられた

 24代大内弘世が、

 政庁を山口に移す

 

 京から来たお嫁さんを喜ばせるため~とか、

 その当時京都自体が荒廃していたから~とかの理由で

 京の街に模した街づくり

 ↓ 

 25代大内義弘の供養塔として

 1442年に

 瑠璃光寺五重塔が完成

 ↓

 室町時代中頃

 29代大内正弘が

 雪舟に命じて築庭

 ↓

 大内文化が花開き

 「西の京」と言われる

 ↓

 1550年、31代大内義隆

 フランシスコ・ザビエルに

 日本で初めて

 キリスト教布教の許可を与える

 

 

 

 

 公園内の

 曹洞宗 瑠璃光寺

 

 こちらに

 五重塔の石像がありました

 

 境内は狭くて

 人が写りこまないような撮影が難しい

  瑠璃光寺には

 毛利家墓所も残ってるらしい

 

 

 公園に戻ります

 

 

 1551年、

 上記の31代大内義隆

 (キリスト教布教を許した大名)

 重臣 陶晴賢(スエ ハルタカ)

 打たれる

 ↓

 1555年

 陶晴賢、

 安芸國の毛利元就と

 厳島で戦って、大敗

 (厳島の戦い

 ↓

 1557年

 毛利元就、

 一門の大内義長を

 下関市の功山寺に追い詰め

 自害させる

 大内家滅亡

 ↓

 毛利元就、中国地方統一

 

 

 ただの自己満足な

 歴史の整理

 頭の中でごちゃごちゃしていたので、

 とってもスッキリしたわ

 

 こういう経緯が 

 あるためか、

 一つの観光地に

 大内家の由来のものと、

 毛利家由来のものがあって

 ややこしいんですよね

 

 

  300年、時代が飛んで

 園内には、

 明治維新の舞台となった、

 

 

 枕流亭が移築されていました

 

 

 この公園内だけで、

 500年の歴史を感じることができますよ

 

 

 

 香川公園(瑠璃光寺五重塔)

 場所:山口県山口市香川町7-1