1978年に、初めてカナダのバンクーバーに旅行に行き、日本食を探して日本人街に行った事があります。
まだ、海外旅行に行く人も希だった時代で、簡単に日本食レストランは見つかりませんでした。
旅行ガイドの片隅にあった、町外れの日本人街の情報を頼りに、タクシーで行きましたが…
そこには、驚くほど古びた廃墟と化した街しか残っていませんでした。
店という店はクローズしたまま、人っ子ひとりいないその街には、バンクーバー市街地の華やかなイメージとはかけ離れた、辛く悲しい歴史の残骸しかありませんでした。
私はまだ23歳で新婚旅行で、ショックでしたね。
ロサンゼルスで仕事をした後だったので、ロスの日本人街をイメージしていて、バンクーバーでは日本人はどんな人生を送ったのだろうと、強く印象に残りました。
当時、ロスには日経二世の友達がいました。
お母さんは確か和歌山の人で、戦後米兵と結婚してヒューストンに住んでいました。
その頃になってやっと、彼女や兄弟を連れて初めて実家に帰ったと言ってました。
彼女は初めて会った時は日本語が使えず、私の英語の先生であり、私は日本語を教えました。
彼女の話から、和歌山の実家では、数十年ぶりに帰宅した娘を、歓迎してはいなかったと言ってましたね。
家族の反対を押し切ってアメリカに行ったお母さんを、英語しか話せない孫たちを、両親がどう受け止めたかは想像がつきました。
こういうケースは、戦争を挟んでも、確かに親子3代の話で、けして遠い昔ではないのですね。
実はもっと深くて辛い歴史を感じます。
知るという事は、大事な事だと思います。
今の日本の緩みは、どこからきたのかを、探らずにはいられません。
息子を横に、いろいろ話しています。
人は緩いまま、ただ楽をしていては、何も得られない事だけは、理解して欲しいと願いながら…
堅い話ですが、最近の一番考えているテーマです。
戦後生まれの年代には、理解できなかった事が多すぎる気がして、この国をもっと知る必要がありますね。
まだ、海外旅行に行く人も希だった時代で、簡単に日本食レストランは見つかりませんでした。
旅行ガイドの片隅にあった、町外れの日本人街の情報を頼りに、タクシーで行きましたが…
そこには、驚くほど古びた廃墟と化した街しか残っていませんでした。
店という店はクローズしたまま、人っ子ひとりいないその街には、バンクーバー市街地の華やかなイメージとはかけ離れた、辛く悲しい歴史の残骸しかありませんでした。
私はまだ23歳で新婚旅行で、ショックでしたね。
ロサンゼルスで仕事をした後だったので、ロスの日本人街をイメージしていて、バンクーバーでは日本人はどんな人生を送ったのだろうと、強く印象に残りました。
当時、ロスには日経二世の友達がいました。
お母さんは確か和歌山の人で、戦後米兵と結婚してヒューストンに住んでいました。
その頃になってやっと、彼女や兄弟を連れて初めて実家に帰ったと言ってました。
彼女は初めて会った時は日本語が使えず、私の英語の先生であり、私は日本語を教えました。
彼女の話から、和歌山の実家では、数十年ぶりに帰宅した娘を、歓迎してはいなかったと言ってましたね。
家族の反対を押し切ってアメリカに行ったお母さんを、英語しか話せない孫たちを、両親がどう受け止めたかは想像がつきました。
こういうケースは、戦争を挟んでも、確かに親子3代の話で、けして遠い昔ではないのですね。
実はもっと深くて辛い歴史を感じます。
知るという事は、大事な事だと思います。
今の日本の緩みは、どこからきたのかを、探らずにはいられません。
息子を横に、いろいろ話しています。
人は緩いまま、ただ楽をしていては、何も得られない事だけは、理解して欲しいと願いながら…
堅い話ですが、最近の一番考えているテーマです。
戦後生まれの年代には、理解できなかった事が多すぎる気がして、この国をもっと知る必要がありますね。