今日の読売新聞に、洋画家の城戸真亜子さんのケアノートの記事が載っていました。
87才になられる認知症のお義母さんを介護しておられるそうで、その細部に渡る心くばりに、感動しました。
お義母さんが、ご主人であるお義父さんの死さえ記憶できず、毎朝、
「お父さんは?」
と聞く事に心を痛め、ケアマネージャーさんの助言で、義父の写真に命日やお墓の場所を書いた手紙を添えて、手元に置いたそうです。
そこに、
「今は私たちと一緒に住んでいます。これからもよろしくお願いします。真亜子」
という言葉を添えて…
お義母さんは、何度も見ては、その都度納得していらしたそうです。

現在、お義母さんは要介護度4。デイケアサービスとヘルパー、ショートステイを利用しての日々だそうです。
真亜子さんは、食事やおやつの時間に必ず自宅に戻り、温かい言葉を綴ったノートを目につく所に置いては、不安にさせないように努力していらっしゃるそうです。

最後に書かれていた、読売新聞の記者の後記にも胸打たれました。
「ふと、トミエさんの頭の部分が切れた写真が何枚もあるのが目についた。『髪の毛が薄くなったことを気にして、写真を見てショックを受けることがないように、撮影の角度に気をつけているんです。』と城戸さん。細やかな配慮がトミエさんの穏やかな表情につながっている気がした。」

86才になる母を持つ私としては、頭の下がるお話でした。
今は母の元気には、日々感謝していますが、少しでも寂しくないように、ほぼ毎日電話をかけたり、できるだけ顔を見に行く事しかできないので。
母は今、一人暮らしではありませんが、友人もこの所皆さん弱ってきたので、以前より勢いがありません。

真亜子さんは、お義母さんがお花の師範でらしたので、時々花を買って帰ると、お義母さんの顔がいきいき明るくなり、見事にお花を活けるそうです。
やはり人の感性は一生、輝きを生むのかと思います。

老齢化して弱るのは、体だけではないのを、忘れてはいけませんね。
私はいつも母の顔を見て、まなざしや口振りから心を覗きます。
最近は笑顔に丸みが出て、前より穏やかになりました。

真亜子さんの記事は、家族との温かい思い出があれば、年老いても生きていける思うと結んでいます。
人生の最後ほど、穏やかに結びたいものです。多分、死は生の続きであって、それまでの人生を物語る幕切れなのでしょう。