日本人の昔から美徳とされている“遠慮”とは、気が利く事の代名詞のようでもあり、実にまどろっこしい結果を生む作法です。
今ではもう、あまり見受けられない場面ですが、親戚の集まり等で“上座”に座る人が誰なのかから始まり、末席は一番身分の低い人だったせいか、末席も誰になるのか、もめます。
たいていは上座は年長者の男性、末席は若い女性で、一家の主婦が家族をたてて“遠慮”する姿が礼儀でした。
男尊女卑の日本ならではのしきたりですね。
よく言えば、“遠慮”する女らしさ・奥ゆかしさが美徳になります。
家の親戚の場合、ただお互いに譲り合うばかりで、席につくまで何分かかるのか呆気に捕らえていました。
「どうぞお先に…(お座り下さい!)」を言い合うばかりで、誰も座らずに30分位経つ事なんてザラでした。(笑)

そんなんで、無駄な“遠慮”は嫌いでした!決まっているなら、名札でもつけるべきです。
多分日本人だけでしょう、“遠慮”という行為も言葉も…
主張が強すぎるのも困りますが、意思や意見ははっきり伝えないと…
曖昧な態度は、甘えてるようで腹が立ちます。

主張が激しいと、出過ぎの印象で、日本では嫌われますが、誰かとぶつかっても、頑張れる潔さは欲しいですね。

ブログでも、しっかりした意見を載せたいです。
大石静さんのブログには、政治に至るまで、意見をはっきり載せていて感心しました。
不用意な言葉で、人に向かって人を傷つけてはいけないけれど、自分の考え方・生き方は主張すべきです。

“遠慮”は、ほどほどに…
“主張”は、潔く…