「桃太郎」は日本の昔話の中でも、かなりポピュラーなものの一つで、日本人なら誰でも知っていると言っても過言ではないでしょう。
しかし、桃太郎が入っていた桃がなぜ流れてきたのかを知る人はあまりいないと思います。
かく言う私も知りませんでした。というか、多くの人たちと同じようにそんな疑問を抱いたことすらありませんでした。しかし、一度疑問に思うと気になってしようがないので、よーく考えてみることにしました。すると一つの情報が脳裏に浮かんできました。
それは「古事記」の一節です。
イザナキの命とイザナミの命は二人で協力して、たくさんの国々と神々を生みました。しかしイザナミの命は火の神「カグツチ」を生んだとき女性器を焼かれ、それが原因で死んでしまいました。
諦め切れないイザナキの命は、妻を連れ戻すべく黄泉の国に行きますが、自らの失態により願いをかなえることが出来ませんでした。それどころかヨモツシコメという化け物に追いかけられ、這這の体(ほうほうのてい)で地上に逃げ帰ることになりました。その途中、坂の上り口に生えていた桃の実を三つ追手に投げつけると、効果抜群で化け物はことごとく逃げ帰りました。
そこでイザナキの命は桃の実にこう言いました。
「私を助けたように、地上に生きる人たちが苦しんでいるときには助けてやって欲しい」
つまり、そのときのイザナミの命の言葉に応えるべく桃太郎は人の世にやって来たのです。そして人々を苦しめていた鬼を退治しましたとさ。めでたしめでたし。
うーむ、現実の世界でも桃の実さんが人々を「苦しみの瀬」から救い上げてくれないでしょうか。
景気が良いと言うことは、環境破壊のスピードが速いということ。
そして資本主義の社会では、企業は成長し続けなければならない。
この矛盾をいかに解決していけばよいのだろうか。
そして資本主義の社会では、企業は成長し続けなければならない。
この矛盾をいかに解決していけばよいのだろうか。
バビロンシステムと資本主義は私の中で同義語である。
資本主義の世の中で多くの人たちは、「お金」依存症に陥っている。
神聖なものに敬意を払わず、自我を満たすために乱用すると、逆に自らがそれの奴隷状態になる。「お酒」「タバコ」「麻薬」「ギャンブル」「SEX」などに対する依存症がそれである。してみると「お金」もやはり聖なるものなのだろうか。
依存症から自由になるには、聖なるものへの敬意を取り戻し、聖なるものは決して完全に自分のコントロール下に置けるものではないことを知らなければならない。
バビロンシステム=資本主義の社会から次のステップに行くには、「お金=通貨」の概念を変えていく必要があるのかもしれない。
資本主義の世の中で多くの人たちは、「お金」依存症に陥っている。
神聖なものに敬意を払わず、自我を満たすために乱用すると、逆に自らがそれの奴隷状態になる。「お酒」「タバコ」「麻薬」「ギャンブル」「SEX」などに対する依存症がそれである。してみると「お金」もやはり聖なるものなのだろうか。
依存症から自由になるには、聖なるものへの敬意を取り戻し、聖なるものは決して完全に自分のコントロール下に置けるものではないことを知らなければならない。
バビロンシステム=資本主義の社会から次のステップに行くには、「お金=通貨」の概念を変えていく必要があるのかもしれない。