こんばんは。


葉月です。


久しぶりの土日休みで

九十九里の家に急遽来ています。


ゆったりした土曜の夜も久しぶりで

続きを書きますね。✍️


さてさて今はロングヘアーが定番の私の髪型ですが、

ずっと床屋でショートカット💈✂(いえ、虎刈りのような髪型🤔)
だった私も中学に入って
少しずつ髪を伸ばし始めました。

ですが、
私立中の校則は当時も厳しく
なかなか伸ばしにくくて
何度も挫折したものでした😢

そうそう
どうして私立に行ったのかと申しますと…話逸れますが

小学校の途中で
新宿区の神楽坂から現在再び住んでいる浦和へ引っ越したのです。

また神楽坂の家に戻る予定もある事と、
いとこ達が中学から全員私立に通学しており、
私も当たり前のように受験させられた、とい理由もあります。

そして、
引っ越した先で馴染めなかった小学校の友達との決別の意味もありました。




引っ越しの理由は、
弟が自家中毒という病になり

(自家中毒とは…    2歳から10歳ごろまでの小児にみられる嘔吐を繰り返す病気の一つです。
神経質で、感染(かぜ)過労、神経緊張、精神高揚などを誘因として、嘔吐を反復し、アセトン血性、ケトージスという状態となります。
周期性嘔吐症、アセトン血性嘔吐症、自家中毒症とも呼ばれます。)

私も喘息を患っていて

当時の東京厚生年金病院(現在の東京新宿メディカルセンター)の主治医から
【転地療法】として環境の良い地方への転居を(半ば強制的に💦)勧められたからです。





業種的に事務所と住まいと兼ねていなくては
難しい自営業の父は

短距離で通勤出来、
尚且つ環境も良く、
教育文化レベルの高い地域として
候補に上がっていた幾つかの地域の中で、

第1候補地である【浦和】に住むことになりました。

幼いながらに引っ越しは
ワクワクの反面とても不安でした。

すぐにお隣の1つ下のさっちゃんと仲良くなり
楽しみが増えたものの

学校では女子の意地悪な子達から
よそ者扱いされ、
仲間外れにされ、
楽しい小学校生活にはなりませんでした。

相変わらず話を聞いてくれない母に心を開くことは出来ず、
何も相談出来ず
私は益々寡黙になって行くのでした。

孤独でたまらなくて
窓から何度も飛び降りようとした記憶があります。

最初は毎日遅くても帰宅していた父も
やはり忙しさから
神楽坂の自宅兼事務所に泊まり込む事が多く
味方の居ない日々が続きました。

私には4つ下の弟と
8つ下の妹がおりまして

ある日、1歳になったばかりの妹が大火傷を追う事故があり、
責任を感じた母は病んだように暗く
そして更に私に厳しくなって行ったのでした。

寂しさから私は
お菓子やご飯をお腹いっぱいに食べる事で
心を満たしては落ち着かせていました。

ですからどんどん丸くなって
醜い顔だから母から嫌われるの?
醜い顔だからお友達から嫌われるの?

って心の底から思っていたのです。
自分の姿形を好きになれませんでした。

その頃は家に安らぎを感じたことはありませんでした。

ちょっと重くなっちゃいましたね!

次に続きますね。

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