こんばんは。
魂の声のメッセンジャー葉月です。

昨日は父が亡くなって14回目の夏を迎えました。




14年前の明け方、急に倒れて
そのまま帰らぬ人となってしまった父。

あの日の長い1日の記憶は、
今でも鮮明に、
そして時に私を寂しさの中に呼び込んで来ます。

人は誰でもいつかは
天に還るものですが、

最後に何も話せず、
伝えられなかった事は
やはり心残りになっているのですよね。


父とのエピソードは沢山あり過ぎて…
思い出すのは
優しい笑顔☺で



子どもや動物が大好きで

小児科医になるのが夢だったそう。

医学部に現役合格するも

事情が重なりで果たせなくなってしまった父。

夢を諦め、他大学に進学し、
6人姉兄の末っ子なのに
家業を継ぐことになった父。

あの時代
【家の犠牲】になった1人


私の【天敵】母を語る上で
度々登場します。

父は母を死ぬその時迄、愛し
そして常に【】の人でした。

それは家族や身内に対してだけではなく、
隣人、地域、学校、職場、友人知人とその家族迄と、
見知らぬ人達にも

常に声を掛け、

何かあると

直ぐに駆け付けては

助けてくれた

親身になってくれた

いつでも
どんな悩みも

解決をしてくれる

そんな人だったと…



葬儀の時、

「皆んなのお父さんだったね」

私の知らない方々からも
そうお声を掛けて頂きました。



私の中高時代の友人達は父を

「ダンボパパ」と呼び

我が家に遊びに来ては

「パパはいないの?」って。゚(゚^∀^゚)゚。

家業や地域や社会活動が忙しく
週に1度帰るか帰らないか?
の生活を送っていましたが、

圧倒的な存在感と行動力で

私達家族を守ってくれていたものでした。


では、そんな父は愛情に溢れた育ち方をしたから

「愛」を持って接することが出来たのかと言うと…

そんな事は全くなく、

父の父、つまり私の祖父は
それはそれは大変なやんちゃ親父で

お酒や女遊び(いや、遊びではなかったかも?)

父の大学の入学金も使い込んだり∑(๑ºдº๑)!!


父やその兄姉6人と祖母はとてもとても苦労をしていたのです。

私が生まれた時は既に他界していて、
様々な武勇伝やらを
叔父叔母から沢山聞きました。


そんな祖父を反面教師として、
家族を愛することが出来たのかも知れませんね。


いえ、
愛を求めていたのでしょう

愛することで満たされていた

のかも知れません。


愛されたかった  から、先に

「愛した」

のかも知れません。




…と
故人の事は少し褒めておきましょうね。(笑)




前に記事に載せた時、
好評だったこの写真は私も大好き😊


お父さん、「夢を諦める」って
どれ程の悲しみなんだろうね。

私も諦めたことが
今迄に沢山あるけど…

どうしても諦められないことがあるんだよ。

いいよね?



私達を愛してくれて
ありがとう。


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