こんばんは。
魂の声のメッセンジャー葉月です。
三連休そしてコロナでゆったりとお休みしていらしゃる皆様は
いかがお過ごしでしたか?
私は九十九里の家の壊れたベランダの補修をやっとして頂けることになり、
息子の運転🚗 ³₃で怖々と
母を道連れ😅に行ってまいりました。
「一緒に行かない?」と
私から母に声を掛けました。
少し前迄は、
母と共に行動するのは何一つ楽しくなかったのですが、
孫と一緒にいるからなのか?
私の母への気持ちが緩くなったからなのか?
「嬉しい😃💗」なんて気持ちになれたことを
素直に喜んでいます。
行き帰りの音楽はミスチル🎵と辻井さんのピアノ🎹で癒されていました😍
(桜井さんが何唄ってるかわかんないとか😅相変わらず文句言ってたけど😅)
では、久しぶりに続きを書きました。
↑前回記事よりも
前々回の続きの内容になります。
辛い記憶は数えきれない程沢山ありますが、
ここで細かくご説明するよりも
そんな時代の
そんな子ども時代だった
そんな子どもの1人だった
そんな風に捉えて頂ければと思います。
私のような子ども時代を送った方は少なくはありません。
私が昔を思い出し、吐き出し、癒される迄の長く辛い時期は終わったのだと自覚しています。
さて、私の印象は
「ロングヘアーでピンクやパステルカラーの服を来ている女性」
だそうです。(諸説あり笑😂)
基本はロングヘアなのは
何もバブル時代のボディコンワンレンのお姉さんだったから、
ではあ~りません😂
幼い時には髪を伸ばすことが許されなかったんです。
幼稚園には有名人のお子さんやお孫さんとかもいて、
ピンクのフリフリのワンピースや👗
可愛いリボン🎀で髪を結って
お人形さんのように可愛い女の子が沢山いて
私もそういう風にしたかったのだけれど
少しでも伸びてくると
「床屋さん」に連れて行かれ
バリカンでジョリジョリと刈られてしまうんです。
これはまだ3歳位で長い方💦
この位の子は沢山いましたが私は公開したくない程の虎刈り🐯
いつも青や紺や茶色の地味な男の子のような服を着ていて
半ズボンを履かされていたことも多かったので
男の子と間違われることもしばしば…
小学校入学前に健診の時も
男の子としてカウントされて、
半裸で男の子の列に並ばされて…
言うに言えずに…
緊張して…
立ちすくんでしまいました。
その時、優しい父はどうしてたのかと言いますと、
私が短髪とズボンと青が好きだと思っていたのです。ฅ(๑⊙д⊙๑)ฅ!!
母が仕込んだ嘘でしたΣ(๑º ロ º๑)
なので、父は
「ショートカットが良くにあうねぇ(●︎´▽︎`●︎)」
と私を喜ばせようとして言ったりしていました。
私は本当の気持ちを父にも言えずに
母に従うしかなかったのです。
ずーっと長い髪と女の子の色の服に憧れていました。
いくつになったら
私は長い髪になれるのだろうか?
それは、アルバイトをして自分のお金で美容院に行けるようになってやっと!のことでした。
高校生になっていましたね。
中学から私立の女子校に通い始めたので
勿論アルバイトは禁止です。
仲良しの友達は誰1人アルバイトはしていませんでした。
私は美容院代、お洋服代等全て自分で稼ぎ出すしかなくて
アルバイトをするしかなかったんです。
しかも3人弟妹の中で高校時代にバイトをしていたのは私だけ
弟や妹には必要な物は買い与えていました。(。>﹏<。)💦
母は私がオシャレや美容に時間とお金をかけることをさせてくれませんでした。
その代わり、中学~短大まで私学に通わせ、その他塾や家庭教師代と教育費には糸目を付けませんでした。
ですから
家が貧しいわけでもなく、
「お嬢様」と言われることも多かった私が
何故、そんなにバイトをしているのか?を周りの友達は不思議に思っていました。
母が私を刈り上げ頭にして
青い服を着せ
洋服や美容院代を全く出してくれなかった…
その理由は
私への嫉妬であった
と、私が母となり育児をしていく中で
私自身が子育てに苦しんみ悩みの中で学んだカウンセリングで
気がつきました。
それも母への許しへの1歩でもありました。
母にご馳走になった
こってりラーメン🍜
美味しかった~😋