こんばんは

 

魂の声のメッセンジャー葉月です。

 

 

息子の卒業式🎓が中止になり

 

学位授与は郵送で終わり、

という何とも寂しい最期の旅立ちとなる3月🌸です。

 

延期でも、規模縮小でもなく

 

「中止」という英断は大学だから出来たことなのかも知れません。

 

卒業式よりもニューオータニでのパーティ🥩🍷の方が残念な様子は、

 

さすが!食いしん坊の息子であります~アセアセ


 

私が自らの事を赤裸々に記し始めているのは、

ご夫婦問題、恋愛、不倫、親、兄弟姉妹、お子様のご相談を伺っていますと…

 

【母親との関係】に辿り着きます。

 

父親との関係の場合も多いですが、

母親の方が圧倒的です。

 

それを見ずにパートナーシップそしてお子さんの事を解決に向かう手立てはありませんよ~!

 

と、言いたい位に

(勿論、ケースバイケース全てではありません。)

母親、父親との和解、お互いの理解、許しが【要】であり【鍵】になりますねぇ。

 

大人になるにつれ、

様々な経験をしていく過程

あの時はわからなかったけれど

 

気づいたり、

理解出来たり、

許せたり、

もうどうでもいいや!

と思えたり…

 

そうやってドンドン消化して行きますよね。

 

だから

「色々あったけど、ありがとう。」

と御見送り出来る方も多いのだと思います。

 

だけど~

その気持ちが燻ったり

どうしても許せなかったり

恨んだままの方も多いのです。

 

「許す」なんて無理!綺麗事!

 

それも当たり前の感情なのですよ。

そんな風に思ってもいいし、

許したくなかったら

許さなくてもいい。

 

内容によっては、

一生縁を切ってもいい!

そんな場合もありますから

許せない自分を責めないでね💓

 

あるきっかけや誰かの言葉から

その出来事自体が

あの時の言葉が、

勘違いだった~

思い込みだった~

と言う場合もあります。

 

そうでなくても、

モヤモヤが沢山心を占めて辛くなって

どうにもこうにもならない時は

もしかしたら

 

「ねぇそろそろ解決したいんだよね~」

 

ってサインなのかも知れません。

 

そんなきっかけになってくれたらいいなぁ~と

 

そんなワケで

母との50年戦争の続きです。

 

 

 

 

 

今の母は泣いたり笑ったり可愛らしかったり

色々な表情を見せますが

 

私が物心ついてから見る母の姿は、

いつも忙しそうで怒っている印象しかありません。

 

それは後になって

誤解、勘違いしていた部分

思い込みもあったのですが、

 

小さな私は母を「怖い存在」としか見ることが出来ず、

常に緊張して日々を過ごしていたように記憶しています

 

 

 

幼稚園に入ってピアノを習いました。🎹🎶

最初は優しくて大好きな先生でしたが、

次の先生が怖かったのと

これから書くある事件から

嫌いになってしまいました。

 

習字、そして英語も同時に習っていましたね。

夏休みに短期で通った中野のスイミングスクールで溺れかけた記憶があります🏊🏻 .。*✧

 

結局、習字以外はどれも好きになれず、身にもつかない私でした。

【好きこそ物の上手なれ】そのものですよね。

 

 

そこで

習い事にまつわる母との事を2つお話させて下さいね。

 

1つ目

ある雨の降りそうな日の夕方、

母に連れられて英語教室に行くとそこには誰もいませんでした。ガーン

 

その日は臨時でお休みだと前の週に先生から聞いていたのです。

 

それを私は母に伝え忘れ、

そのまま1週間経ってしまい、

来てしまったのです。

 

今では考えられないですよね?

幼稚園の子どもに伝え、

親に電話やお手紙で伝えないなんてそんな緩い時代であったのですよねびっくりびっくり

 

弟をおぶって一緒に来た母の怒りの矛先は私でした。

 

持っていた傘で私の背後から

何度も何度も私を叩いたのです。

 

怖くて「痛い」とも言えずに

小さな声で「ごめんなさい」と言い、

怖すぎて固まってしまい、

泣くことも出来ませんでした。

英語はその日限りで辞めたような気がしています。

 

2つ目は、

ピアノの蓋を開ける時に、

掛けてあるカバーが引っかかり、

ピアノの上の飾り物が落ちて

ぶつかり傷が付いてしまったのです。

 

母の怒りはこの時が今でも1番怖い思い出になっています。

 

私を外に出そうとしたのでしょう。

私の手を引っ張り

2階から下ろそうとしたことが

私はその時、とっさに

「殺される」と思ったのです。

揉み合いになって

(この時は必死に抵抗したんですよ~)

2階から落ちそうになって、

只事じゃない様子にご近所の皆さんや

事務所にいた父親が駆けつけました。

 

 

私を抱き上げ

「怪我はしてないか?」と言い

母には

「ピアノなんかよりも大切なものがあるだろう💢🗯」と叱り

 

泣きじゃくる母に周りのご婦人達がなだめている様子を感じました。

 

 

勿論、母は私が思うより怒っていたわけではなかったのかも知れません。

ましてやころそうなんてつもりはありません。

 

 

いくら叱っても

「アッカンベー」と笑って逃げてしまうお子さんもいます。

親と取っ組み合いのけんか子もいるでしょう。

 

当時の物静かで大人しい性格の私には

お仕置の加減が大き過ぎたのですよね。

 

 

 

いくら叱っても何も響かない子

ちょっとだけ叱っても効果のある子

男の子、女の子

 

様々なのですからその子にあったやり方、叱り方

これって大切だな~って

娘や息子を育てる時、母を反面教師にしましたね。

 

それと

その頃は今よりも少し高級品であったピアノの価値を

母はとても大切に重く受け止めていたのだと思います。

 

…にしては~

ですよね(≧∇≦)滝汗滝汗

 

酷いものですよね!

 

私の怪我よりも

ピアノについた小さな傷の方が大切なんて

信じられなーい(笑)笑い泣き笑い泣き

 

と、

今だから笑って話せるのですが、爆  笑

 

「親に殺される」なんて思ったことある方って

そうそういらっしゃらないと思うんです。

 

この2つの事件は事実であり、

長く私の心の傷と闇として存在していました。

 

後々に理解出来ることや

判明したこともあったりするのですよね。おねがい

 

 

ちょっとキツイお話になってしまって

読むの辛かった方、ごめんなさいね。

 

 

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