こんばんは。

 
魂の声のメッセンジャー葉月です。
 
三連休如何お過ごしですか?
 
昨夜はちょっと嬉しいことがあって
その内また、記事に出来たらなぁ~と思っています照れ
 
 
 
さて、先日
母の半生をチラッとご紹介させて頂きました。
 
母との関係は、
私の心の深い闇の部分でもあり、
心のセラピーを始めた大きな柱になります。
 
母との難しい関係がなければ
今の仕事はしていなかったでしょう。
 
では、続きを綴りますね。
 
 
 
母は子どもの頃苦労したものの
上京し、父と結婚してからは人並みに幸せな人生の後半だったと思います。
 
 
そんな母ですが、
私が物心着いた時には
既に私にとっては世の中で一番怖い存在でした。
 
何をしても直ぐに叱られるからです。
いつもビクビクしていた記憶しかありません。
 
口数が少なく、大人しく、
決して自己表現などしない私に
母はいつもキツく当たるのです。
ですから顔色を見ながらいつも緊張して過ごしていました。
 
4歳違いの弟が生まれると
更にそれは加速し、幼稚園で他のお母さん達(優しく見えるのですよねぇー)と比べては、
 
「私は本当の子じゃないかもしれない。」と
ずーっと思っていました。
 
兎に角、直ぐに怒るのです。
褒められた記憶は全くありません。
 
 
 
 
それに比べて父はいつも優しく私を大事にしてくれました。
 
私は幼稚園から帰ると、
同じ敷地内にあった自営業の父の事務所に行って静かに時間を過ごしていました。
設計図が沢山あって、真似して線を引いたり、未来の自宅を夢見て自分で設計図を作成したり
静かに絵を描いていました。
 
空想するのが好きな私の原点は、設計図や間取り図なんです。
 
外回りする時や休日は父の助手席に座り、お客様との打ち合わせに同行しては
車内で絵本を読みながら何時間でも待っている大人しい子でした。
 
道中は好きな童謡の音楽をかけてくれて一緒に歌ったり、冗談を言っては笑わせてくれる優しくて面白い父を私は大好きでした。
 
敷地内には独身寮、家族寮それぞれの社宅もあり、親戚を含め沢山の人が住んでいました。
 
多忙な父が留守の時には、祖母や叔父叔母、いとこ達もいましたし、
見習い中の若い衆は、本当のお兄ちゃんのように遊んでくれました。
職人さんのお子さん達も同年代で一緒に幼稚園や学校へ通いました。
 
大勢の人がいつも周りにいたので表面的には寂しさは感じてはいませんでした。
 
ですが、深い所では、
いつも母に「嫌われている」と思っていたので、
なるべく他の人と意識して過ごしていたのです。
 
 
母も弟の世話に追われていましたから
丁度良かったのだと思います。
 
今、思えばそれは有り難い環境でした。
私には逃げ場があったからです。
 
何かあればいとこの家に行ったり、祖母の部屋に行ったり、
泣いていれば誰かが声を掛けてくれる。
 
長女だけれども
いとこ達は皆、目上でしたし
若い衆達は大きなお兄ちゃんのようで
沢山遊んでくれたんです。
 
甘えられる人も側にいてくれたことは
深い哀しみを感じながらも
吐き出す場所のあったことが大きな救いでした。
 
 
 
続きます。
 
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