こんばんは。

 

魂の声のメッセンジャー葉月です。
 
母とのことを書き始めたのが一年前( ̄▽ ̄;)で
 
久しぶりに続きを書き留めました。
 
良かったら母の歴史を覗いて見てくださいね。
 
 
↓こちらの記事も読んでね照れ

途中かなり省略しましたが、
 
あの時代に多かった苦労人の1人である母
 
そしてその母の長女として生まれた私は、
そのポリシーをそのまんま受け継いたわけなんですよね。
 
慎ましく厳かに生きる。
何事もガマン!
贅沢な敵!
無駄遣いはしてはいけない。
楽をしてはいけない。
甘えてはいけない。
頼ってはいけない。
弱音を吐いてはいけない。
苦労しなくちゃいけない。
頑張らなくちゃいけない。
いえ、頑張り過ぎる程、無理をするのが当たり前!
 
 
あ~そんなの無理~
 
今の私ならそう叫んでいますが…てへぺろ


私と母の葛藤の50年間の前に
こんな半生の母を記しています。
 

 
母が両親を亡くした時は6歳の戦時中、
3歳と0歳の妹がいました。
 
祖母や親戚の世話になったと聞いていますが、
それにしても小さな妹達とどうやって生きてきたのか?
想像も出来ません。
 
妹には足に障害もあり、
母方の親戚から
大人になってから色々なことを聞く機会が私にはあって
 
ちょっとここには書けない位の嫌がらせや苦労があったと聞きました。
 
妹達を守る為に自分を犠牲にして生きてきた。
 
母の半生は、
その一言に尽きるのかも知れません。
 
 
 
 
いつの時だったか、母の聖書を見つけ、
熱心な書き込みがしてあって驚きました。
北海道ではお嬢様学校と言われているキリスト教の高校に大変なはずなのにどうやってなのか?通っていたんです。
 
必死にアルバイトをしたそうですが、無理をしたであろうに何故?…と。

特に何の宗教にも興味ない母からは聖書が違和感なのですが、
そんな神聖で安全であったであろう場所に、
心の安らぎや希望を見出し、
ひとすじの光を感じていたのかも知れません。
 
 
 
 
上京後しばらくして
母を引き受けて下さった大企業社長の奥様は、
母親代わりのように厳しくも優しく導き、花嫁修行や  あらゆる面倒をみて下さったそうです。
 
幼い頃は、母の母、つまり私の祖母だと思っていて「吉祥寺のおばあちゃま」と呼んでいました。
おばあちゃまはいつもお着物で、良い香りがして、立ち居振る舞い、言葉遣いもエレガントで女優さんのようでした。
広~いリビング、
毎回迷子になる幾つもの部屋、運動会の出来るお庭、
生クリームケーキ(当時はバタークリーム主流)やジュースが飲み放題でまるで夢の国でした。
私の祖母にしては、お上品過ぎるぞーと、距離感を感じた私の勘は当たってましたね(笑)
 
その御屋敷の施工管理を父の会社が請け負っていて、
足繁く出入りしていた父は、
その家で住み込んで働いていた母に、心がときめいたそうなんです。ラブ



 
 
父と母の初デートのエピソードはやたら面白くて、
未だに母は嬉しそうに時おり話します。
 
亡き父を愛していたのだと
いつも感じる場面の1つです。
 
かつて父は私に
「お父さんはね、お母さんを守る為に結婚したんだよ。」
 
「だからお父さんは絶対に浮気はしないよ。あ、お父さんは結構モテるんだよアハハ😃」
 
本当なんだかわからないけど
そんな事を娘の私に言うのですから、
本当だと言うことにしておきましょう。。゚(゚^∀^゚)゚。
 
 
 
父と母はたまにケンカはしていたし、
母は文句ばかり言っていたし、
☝️に書いたような慎ましやかな女房ではなかったんですよね。
結構、父にはワガママでした。
私達子どもにはたたただ厳しい母でした。
 
だけど…父から愛されている
ってことは
私からは目に余る程わかりました。

母を「世界一の美人だ」と言いラブ

母の作る食事を
「こんなに美味しいものは食べたことがない。」と毎回言いびっくり

「軽くて嘘っぽい」と、
今どきの既読スルーが如く父の言葉を無視する母笑い泣き
 
それでも、
いつも手を繋いで歩く姿は
微笑ましいものでした。

母はいつも怖かったけれど、
両親の仲が良い事は、
子どもにとっては
何よりの大きな安心感なんです。
 
 
父が亡くなった時、
誰よりもすがり付いていてずっと離れなくて

私が「お父さん、守ってくれた?」
って聞いたんです。
 
「うん、守ってくれた。
お父さん、いつも守ってくれた。本当に守ってくれた。」
 
子どものように泣きじゃくっていた母
お父さんちゃんと役割果たしたんだなぁ、って
 
そうそう、父は母と結婚する時に
吉祥寺のおばあちゃまと
「母を守る」と
約束したそうなんですよ( *´艸`)
 
 
父が亡くなった時は私はまだ離婚する前だったけれど、
こんな最期を迎えたいと思ったものでした。

私の中の夫婦のお手本が、両親になっているのですよね。


 
続きます。
 
 
 
 
 
前回、今回の「母のものがたり」は母の半生を焦点です。
母のちょっと可愛らしい面も書いてみましたが、
これを書ける迄には、
私と母の壮絶な50年戦争がありました。Σ(゚д゚;)

次回からは
「母と私のものがたり」として書き進めて行きたいと思います。
 
 

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