人気の職業を辞めた人たちというくくりで共演させていただきました。
とってもよく表してくれてる言葉。
実は昨年の夏には収録終えており、テーマがテーマだけに、一般人の中でも個性豊かすぎるメンバーが集い、トークもバラエティに富みすぎて、放送禁止になっちゃって、流れたかと思ってたのですが笑、やっと放送されましたー
「人気の職業を辞めた人たち」ということで、みなさまの華麗な転身ぶりが本当に興味深く。。
MCの方々からの質問も、こんな感じでした。
私は当時、教員をやめると決断した時、お世話になった校長先生、両親からものすごい反対されました。
今でも忘れられない、校長から両親へコソ電がいき、バレ、その夜の家族会議笑
や、ちゃんと家族に伝えるつもりだったんですが、辞表出してからにしようと思ってたら校長に先回りされてしまった^^;
今思うと、次の仕事があるわけでもない、結婚をするわけでもない、「新しいことに挑戦したい」というフワフワした理由で辞めようとする私を止めるのは当然の理由です。
それでも話し合いの末、
「かよこが決めたことだから」
と信頼して認めてくれた両親には本当に感謝をしています。
これがあったから、周りの出来事や家族に感謝をすることができるような人間になれました。
また、この出来事があったからこそ、一つ人生に対して開眼し、覚悟のようなものが芽生えたのも事実です。
これには、全員がNO!でした。
みなさま収入が激減すると回答された方が多かったのですが、結局、それが後悔する理由にはならない。
なぜなら、自分の人生を歩いているから。
もちろん私も辞めた当時は全く収入がなくなり、貯金を切り崩しながらの不安な生活で、かなり感情も不安定になった時期がありました。
カードの一つも作れない社会的信用のない立場に立たされ、初めて社会的に守られていたことに気づきました。
また、お金がなくて、イレギュラーに帰省できず、お世話になった同僚の地元での結婚式に出席することができず、本当に申し訳なく、悔しかったことが今でも思い出されます笑
その時に、次から誘われた結婚式には絶対にでる、どこにいても。と決めました。
そのためには、時間的余裕と金銭的余裕のあるライフスタイルを構築する必要があると思い、そのライフスタイルを構築するためのマインドを学びにいこうと、セミナーへ参加したり、学んだりする日々が始まります。
当時の主人も全くお金に余裕がなかったので、東京の狭いワンルームで、二人で協力してた日々でした。あの時にできた絆はやはり特別です(^_-)-☆
あー懐かしい!
まぁ、そんな紆余曲折が一人一人にありまくるので、MCの方々がコメントくださったように、
そう、私たち熱いです
そう!だって行動しないと生きてけない笑死んじゃう笑
そうですね、とりあえず決めたら動くしかないんです
「決断」って、断つことを決めると書きます。
文字通り、私は当時退路を断ちました。
もう動くしかなかったんですね^^;
ここで、特筆しておきたいのは、私は教職が嫌だったから辞めたのではありません。
辞めようと決めた時も、「惜しまれながら辞める先生」になろうと決めました。
それは、児童やご家庭のために今の自分でできることを全部やりきるということで、事実、最後の3ヶ月は基本の激務に加え、教師として未熟なわたしは教材研究もしっかりしなくてはならなかったこと、次の学年に向けて書かなくてはならない通知表や申し送りが三学期はあり得ない分量ほどあるんですね^^;特に来年から私はいないので、きちんと漏れなく申し送りしなきゃみたいな気持ちもあり。
加えて、新生活の準備もあり、最後の3ヶ月は睡眠時間リアルに平均2.3時間でした。
我ながらコミットしてましたねー。
今なら言えますけど、この辛さ(体力的)は絶対忘れまいと通勤途中の車の中で誓った記憶があります笑
でも、子ども達は可愛いし、保護者の方々にはたくさん協力してもらったしで、精神的な充実感は計り知れませんでした。
この時に、
•エネルギーは出せば出すほど湧いてくること
•限界は、限界と思っているもっと先にあること、
•結果は必ずついてきてくれること
を体感しました。
やめると決めたから、できたこともたくさんありました。
もっとたくさんの世界を見ていろんな経験をして、それを教育に還元したいという気持ちがあり、最終的には両親、校長先生も私のわがままを受け入れてくださりました。
保護者の方からも異動や退任の欄に私の名前があったことにビックリされて春分の日の早朝にお世話になっていた保護者の方の電話で叩き起こされ、
「結婚ですか⁈」と詰め寄られたのもいい思い出です。
とってもよく表してくれてる言葉。
最大級の褒め言葉です。
わたしはこれからもますます自由になると思います。
そこにはあの時決断した私がいて、支えてくれた主人がいて、理解してくれた家族や同僚、友人がいたからだということもこれからもしっかり胸に刻んでおきたく、備忘録として、またよい記念として書かせていただきました。
それにしても、五人揃うとオーラあったな
こんな息子が欲しいなと、もう私は母親目線でした笑
日テレさん、素晴らしい機会をありがとうございました。