いつものワンちゃん仲間が集まる広場へ。
タロー君のパパは散歩の途中で定期検査で病院へ行くことになっていた。その間いつもワンちゃん達をかわいがってくれているおばさまが、タロー君のパパが病院から戻るまでタロー君を散歩中あずかることになった。しかし、おばさまはあずかるのを嫌がっている様子。『タロー君に、”パパとボクを引き裂く悪い人”と思われたくない。』らしい。
その理由がそのあとすぐにわかった。
タロー君はいなくなっていくパパを追いかけようとし、必死でリードを引っ張り、吠え出したのだ。
いつものタロー君はノーリードでちょぼと走り回り、遊びまわっている。道路上に出る以外はノーリードでも大丈夫なほどしっかりしているて、知っている人やちょぼが広場に近づくと迎えに走ってきたり、ちょぼが大きな犬と諍いを起こすと(ちょぼは大きい犬を見るとケンカになるのだ)『大丈夫?』と言わんばかりに駆け寄って様子を見に来たりする賢いワンちゃんだ。
いつも広場でひとしきりワンちゃん達を遊ばせた後、少しはなれた小さな公園に移動するのだが、タロー君だけはパパのいなくなった方を見たまま動こうとしない。
仲間が「無理に一緒にこなくていいよ。公園まで行くの大変だから。」
そうだ。リードがタロー君の勢いで離れ、パパを追いかけ道路を横切ったりしたら危ない。
我々に遅れ、おばさまもタロー君をようやく公園まで連れてきたが、タロー君は入り口の道路の方を向いたまま、座って動かない。
ちょぼがいつものように遊びを仕掛け、絡みかけたが『来るな!』とばかりに吼えた。
今朝のタロー君はただただ、ひたすらにパパを待っていた。
タロー君は留守番はしてないようで、パパにべったりの生活だったのが要因らしい。でも、タロー君のパパはタロー君をしっかり躾けているのがよくわかるし、パパ自身も勉強されていらっしゃる。決して甘やかしているだけではないと思う。
関係ない話になるかもしれないが、タロー君は山に捨てられていた仔犬だったと聞いている。仲間の中には殺処分寸前でもらわれた仔もいる。
実は仲間の中で”お金を払って購入”というのはちょぼだけである。
そう考えると、犬は人間の都合によって運命が変わってしまうのだということがわかる。犬の生き死にも、飼い方による性格の違いも、すべて人間によって決められる。
犬が幸せか、不幸かなんて自分でわかるわけはないと思うが、愛されている事はわかるし、タロー君のように飼い主を慕う気持ちは持てる。
外飼いで留守番犬にしてるか座敷で飼ってるかとか、餌は何だとか、躾諸々その他いろいろあるが、それは飼い主さんの考えによる飼い方なのでどうこうはない事だが、未だに無くならない『捨てる』『処分する』『いじめる』の類の話を聞くと、どんなワンちゃんでもタロー君のように愛されたり、それを返したりの一生を送ることができるのに、と口惜しく思う。
以上、”忠犬タロー”を見てそんなことを考えた1日だった。
それより、妻が風邪でダウン

夕飯は久々のコンビニ弁当

なにもできなくてゴメン

はやくよくなってくらはい。
今日のトマト(花咲きました

