とてつもなく寒いです
京都は本当にキテます
底冷えとは本当にうまく言ったもんですが
今日はクリスマスイブですね
みなさんこんにちは
心理セラピスト橋屋かなこです
さて先日は子供を大切にする事は
夫婦の問題を無視できないというテーマで書きました
配偶者と会話していますか?
その会話は噛み合っていますか?
お互いに避けていませんか?
コミニケーションというのは
自分の愛着と深く結びついているので
心と心が近くなったり
触れ合うほどに色濃く反応が起こります
お互いに自分の愛着のパターンや
未解決な問題がわんさか出てきます
お互い好きで結婚したけれど
いつしか会話をしなくなった
もしくは会話や接触を避けている
そんな時回避できている事で
その場に波風が立たなかったり
揉めなかったりそれが平和のように
感じていたりするかもしれません
でも回避したくなるのは
過去には自分の気持ちを伝えあったり
これからの事をお互い話したけど
うまくいかなかったという経験が
積み重っているという事はありませんか?
そんな時、両者に起きているのは
「どうせわかってもらえない」
「どうせ無理どうせ無駄」
そんな感覚や自分の前提が
そもそもあるかもしれません
そして何をわかってほしいのか?
となると本当は自分が何をわかってほしいのか
わかっていなかったりもします
わかってもらえないという思い込みの
馴染みが強いと
「わかってもらえない様に話す」
というコミニケーションを取りがちです
本音を言わないのです
本当に伝えたい事を言う勇気も
わかってもらえる様伝える努力もしない
だけどわかってほしい
言葉にしなくても察してほしい
という要望が潜んでいたりします
なので「わかってもらえない」
という前提同士の夫婦が喧嘩をすると
結局わかってもらえない
という結果をお互いが体験します
自分からその努力をしないのだから
自分から勇気は出さないのだから
喧嘩がひどくなると
お前が悪い!あんたが悪い!
お前もな!あんたもな!
とお互いに自分の事を認めない
相手の事も認めない
まるで卓球玉をコンコンと返し合うように
跳ね返しいたちごっこ
跳ね返しというのは
コミニュケーションではありませんね
受け入れずに打ち合って
打ち返している状態です
そんな時はお互いに
自分は悪くない!相手が悪い!
相手にわからせたい
相手に受け入れさせたい
相手を変えたい
という状態かもしれません
そうやって打ち合いを続けている事で
自分の内側を見なくて済む
心理的メリットでお互いに
一歩も引かない
そうやって自分を守る防衛機制
と言いますが防衛機制が本当に
自分を守れているか?
というとそうではない事も多いです
この場合だと打ち合いを続けていたら
どちらかが倒れるか破綻か
という結果しか出てきません
お前が先に折れたら辞める
あんたが先に認めなさい
防衛合戦が終わる日はいつだろう?
この中にいる子供は地獄です
地獄を受け入れてね
戦争の中で地獄の中で
生きてねと言ってるのと同じ
社会で起きている事は
個人レベルに落としていくと
自分の中でも起きていると言いますが
自分の中の戦争も
これでは終わる日がきません
子供という犠牲者の傷も深くなり続ける
相手が受け入れたら自分も受け入れるのか?
どっちが先?はたまた
相手に受け入れてほしいけど
自分は受け入れる気はないのか?
自分が相手と繋がりたい気持ちは
そもそもあるのか?
そこを深く自分に問い続けていかないと
答えって出てきません
自分は目の前の人とどうしたいのか
どんな関係を築きたいのか
そのために必要な事は何か
自分がするべき事は何か
それをいつするのか
相手ではなく自分の内側に戻して
自分の内側から出てくる
自分の大切なものは何か
決めていくという事の繰り返しです
そして相手ではなく自分が先です
これが鉄則だなとますます痛感します
続きはまた!!