秋晴れの続く京都です
10月と11月は子供たちの
行事が今年は復活して
小学校へやたら行ってます
自分の子を含め幼稚園時代から
知っている子の成長を見る機会が多く
この秋は胸が熱くなったりします
うちの子でいうと幼稚園時代は
お遊戯会や運動会などの行事は参加できず
行事は大体先生に手を繋がれて
眉間にシワを寄せた写真がほとんとで
この子は一体どうなるんだろう
と私がワナワナしていましたが
小学校に入り鳴子踊りを
スナップ聞かせて披露したり
大股でぐいぐい走る姿を見ると
成長したんだなあと
涙なしには見られません
成長していくって
過去の出来事が全部思い出になって
感謝がこみ上げてくる
そんなふうに思いました
みなさんこんにちは
京都・長岡京市で
リトリーブサイコセラピー
という心理療法をしています
セラピスト橋屋かなこです
11月の個人セッション募集中です
さて本日のテーマは
「幼児退行」について
自分を生きるとはどういう事か
過去の自分の叶わなかった思いを
関係のない目の前の相手に投影して
叶えようとするけど
やっぱり叶わなくて絶望していく事を繰り返す
本来なら成長という未来の
ベクトルに向かって生きていくけど
過去の幼児というベクトルに向かって
自分を動かしていく
自分を分かって欲しい
自分を見て欲しい
自分を愛して欲しい
自分を受け入れて欲しい
自分を認めて欲しい
この欲求を追い求める
(勿論無意識ですが)
だけど目の前の人は親ではないし
大人同士として出会っているので
親に求めている事を叶えてくれと
要求されてもそもそも叶えられない
自分を分かって欲しい
自分を見て欲しい
自分を愛して欲しい
自分を受け入れて欲しい
自分を認めて欲しい
ってずっと求められても
普通に考えて相手は困るよね。。。
だけど幼児退行している時というのは
この思いが叶わなかったから
欲しくて欲しくてたまらない
この気持ちがある事がダメなんじゃなくて
この気持ちを自分ではなく
他人に埋めてもらおうとするから
相手がうんざりしてしまったり
人間関係がおかしくなる
その結果
どうして自分を分かってくれない!
どうして自分を見てくれない!
どうして自分を愛してくれない!
どうして自分を受け入れてくれない!
どうして自分を認めてくれない!
怒りでいっぱいになってしまう
そして今の人間関係を終わらせたり
自分から関係性を絶ってしまったり
ここには自分の幼い頃に
叶わなかった気持ちがいっぱいいっぱい
それを叶えてもらおうと次の人間関係でも
諦めずにこだわり続ける
執着や怒りながら繋がる事を繰り返す
敵対依存というのがあります
だけど本当に終わらせるのは
今の目の前の人間関係やコミュニティーではなく
過去の自分の中の親子関係
先日のブログ
執着と敵対依存についても
よかったら読んでみてください!
幼児退行でずーっと生きると
結局欲しいものは手に入らないから
絶望感ばかりが増え
怒を抑圧し
どんどん生きる気力がなくなって
人生に生きる事に
疲れ果てるんじゃないかと思います
死への欲求に
変わっていくんじゃないかと思います
鬱状態というのはこういう感じかなと思います
だからこそ自分の中の
数々の恐怖や不安
孤独感や絶望感という
ネガティブな感情や感覚ほど
自分が受け入れて癒していく必要が
あるなと思います
最後は結局自分で受け入れた時しか
癒しって起きないし
自分の中の生きる力が眠ったまま
ずっと笑顔ばかりの日じゃなくていいし
もうダメだと思う日が何度あってもいいけど
前を向いて生きていくって
それだけで十分尊い生き方だなと思います
成長する子供達を見て
心打たれたのはそんなエネルギーを
感じたからかもしれません
いろんな事が人生には起こるけど
その度に泣きながらでも鼻水垂れながらでも
最後は前を向いて生きる姿勢を
私も子供には見せたいなと思いました
自分はどうありたいか?
ひとりひとりのこの答えが
自分の人生をつくっていくんだと思います
私のブルースでした!
それではまた!