明治維新の礎を築いた第11代薩摩藩主・島津斉彬の実績 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

「明治維新」というのがその言葉のように立派なものだった

かは置いといて、時代が大きく変わる画期的な出来事なので、

維新は維新でしょう。

 

その主役は薩摩藩で、長州藩はむしろ便乗した形といっても

良いと思います。そしてその薩摩藩の中心にいて、維新の土

台を作り上げたのが、第11代藩主の島津斉彬でした。

 

1851(嘉永4)年に斉彬は藩主に就任し、まずは薩摩藩

の富国強兵化を推し進めます。ただしそれだけでなく、洋式

造船、反射炉・溶鉱炉の建設、ガラス、ガス灯の製造といっ

た産業の発展も進めました。

 

当時「薩摩の紅ビロード」と言われたガラス工芸品の技術は

一時絶えたものの、現在は「薩摩切子」という名産品として

復活しています。

 

また土佐藩の漂流民だったジョン万次郎が帰国した後は、積

極的に彼を保護してその知識と技術を生かし、西洋式帆船を

建造しました。さらに、日の丸を日本船章にするように提案

したのは、島津斉彬です。

 

また、人材も発掘しています。下級武士でありながら優秀と

見なした西郷隆盛や大久保利通らを、積極的に登用しました。

 

幕政にも関与し、14代将軍の擁立を巡って大老の井伊直弼

と対立しました。この井伊直弼の専横については西郷隆盛か

らも情報を収集し、もはや幕府を倒すしか日本を救うしかな

いと思い、兵を集めて上洛することを決断しました。

 

そうして兵を挙げる訓練も進んで満を持したという段階で、

斉彬は赤痢で他界してしまったのでした。しかし後進が彼の

築いた土台を基に、倒幕に成功したのです。