女狂いで有名な豊臣秀吉が養子の秀次に宛てた訓戒状が、遺
されています。
「女狂いは慎め。決してこの秀吉の真似をしてはならぬ」
秀吉は秀次に関白の座を譲っているのですが、その翌月にな
る1591(天正19)年12月20日付けでこの訓戒状は出
されています。
まあ「賞罰は公平にせよ」とかいった政治的な心構えも書か
れてはいますが、日常のたしなみについて上記のことを強調
しているのです。
しかし秀次は、それを守りませんでした。秀吉に負けないく
らいに女狂いをした挙句、とうとう秀吉の側室を奪っていま
す。
公家の菊亭晴季が秀吉に取り入ろうとして、娘を秀吉の側室
に差し出しました。一の台という娘でした。しかし病気にな
ったため、宿下りしてしまいます。
その後しばらく秀吉から声がかからなかったため、一の台は
秀次に出仕しました。秀次はその一の台に惚れてしまい、正
室にしたのです。
秀吉は後に秀次を謀反の罪で切腹させていますが、まさかこ
のことが原因というわけではないでしょう。ただし秀吉が激
怒したのは、事実だそうです。