天皇が2人存在したことになる「南北朝の動乱」の時代です
が、戦力差が実は歴然で、足利尊氏が築いた新しい皇室であ
る北朝が断然上だったのは知られるところです。
三種の神器が南朝方にあったから動乱は長く続いたわけです
が、それでも南朝方がずっとやられっ放しだったわけでもあ
りません。
そしてその弱かった南朝方が主役の逸話も、『太平記』には
あります。「合言葉」という手法です。
1360(延文5)年、南朝方の和田正氏の兵が河内国赤坂
城に引き揚げた際の話でした。北朝方の兵が4人、これに紛
れて城内への潜入を図ったそうです。
あらかじめそうした事態も想定して、「合言葉」の手法を使
用しました。前もって決めていた言葉を発すると同時に、さ
っと立ったり座ったりを繰り返すのです。
いたってシンプルな方法で、「術」というほどのものでもな
いかもしれませんが、立ったり座ったりの動きの中にも多少
の変化を取り入れていたようです。
北朝の兵たちは「立ちすぐり居すぐり」と呼ばれる合言葉の
術を知らなかったため、全く反応出来ず、大勢に取り囲まれ、
4人とも討ち死にしたということです。
この「合言葉」の手法は後々まで用いられ、戦国時代に戦場
で敵味方を見分ける方法としても行われていました。