戦国時代に戦わずして勝利に導く「調略」という方法の代表例 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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犠牲を出さないか最小限にして勝つための方法として、「調

略」という方法がありました。謀略によって相手から謀反や

内紛を引き出す方法です。

 

その代表例としてあるのが、「内応」です。敵中に、内通者

を作り出すことです。

 

織田信長が斎藤氏の居城である稲葉山城を攻めた時、斎藤家

家臣で後に羽柴秀吉の家臣となる竹中重治(後に半兵衛)が

16人の部下と共に斎藤家を裏切り、情報を織田軍に流しなが

ら城を奪うことに貢献したのが、典型的な例です。

 

また、「離間の計」というのがあり、これは偽情報を流すこ

とです。敵と内通している者がいるなどというネガティブ偽

情報を流して、敵を疑心暗鬼にさせる。そうして仲間割れを

引き出す方法です。

 

これは武士たちだけでなく、彼らの妻たちも積極的に参加し

ていた方法でした。前田利家の妻のまつなどは、味方の死ん

でもいない武将を死んだと偽りの情報を流したり、防御が万

全の場所をまるっきりのがら空きであるとの偽って、相手を

油断させたり罠にはめたりという作戦を得意としていたそう

です。

 

また、これは謀略とは意味合いが違いますが、「日和見」と

いう今でもよく使われる言葉の調略も、ありました。それは、

戦う相手を定めず、戦いの雲行きを見て有利な方に就くとい

う戦術でした。お家の生き残りを優先した方法です。