御岳山中で98歳まで平和に生きた武田信玄の娘・真理姫 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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武田家が信玄から勝頼の代へと変わり、多くの離脱者が出ま

した。その中の大物の1人に、木曽義昌がいます。

 

この木曽氏は木曽義仲の末裔でして、木曽義康の代に木曽谷

に侵攻してきた武田信玄に激しく抵抗しましたが、武田と和

睦し、義康の息子の木曾義昌は14歳の時に武田信玄の三女

である真理姫と結婚しました。信玄の信頼が、わかります。

 

しかし武田家が勝頼の代に代わり、さらに織田と徳川が力を

増すと、離反を決意します。そのことを妻の真理姫に告げる

と、彼女は反対をしました。

 

「どなたの恩義によって今日までがござったのですか!」

真理姫はそのように厳しくとがめましたが、義昌は

「わしの命は武田とともにあっても、明らかな負け戦に手の

者を巻き込みたくない」

と言って聞きません。

「主君を失うてもなお、のうのうと生きていたい者は家中に

はおりますまい」

真理姫の必死の説得も実らず、木曽義昌は離反してしまいま

した。

 

真理姫はそれに従わず、勝頼に夫の離反を告げると自身は末

子・義通と侍女を連れて御岳山中に身を隠してしまったそう

です。

 

その後、木曽義昌は織田軍に従って所領は安堵し、さらに信

濃筑摩郡を与えられたものの、重要なポストは得られること

なく、遠ざけられたままでした。やがて57歳で寂しく没し

ています。

 

一方彼を叱った妻の真理姫は、98歳までの長寿を平和に全

うしたということです。