新井白石が徳川綱吉の遺言に反して「生類憐みの令」を廃止することが出来た理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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1709(宝永6)年に徳川幕府5代将軍の徳川綱吉は、亡

くなっています。

 

徳川綱吉といえば「生類憐みの令」が有名だと思いますが、

綱吉はその法令に最後まで固執していて「自分の死後も『生

類憐みの令』は続けるようにとの遺言を、残していたそうで

す。

 

しかし次の将軍・徳川家宣の補佐役となっていた新井白石は

「たとえ将軍の遺言であっても、民衆を苦しめる行為を行な

ってはならない」として、「生類憐みの令」を廃止していま

す。

 

新井白石がそれを断行出来たのには、当時の時代背景があっ

たようです。呪術や陰陽道に人々が頼らなくなったという現

実が、ありました。

 

徳川綱吉が「生類憐みの令」を出したのは、別に犬が好きだ

ったからとかではなく、呪術と陰陽道に入れ込んだ綱吉が陰

陽師や呪術師の助言を丸々取り入れてのものでした。そのこ

とは庶民も、知っていたはずです。

 

平安時代のように医学より呪術や陰陽道を貴族が頼った時代

ならともかく、江戸時代にはそうしたものに頼らなくても農

地で作物が豊作になる方法が農民に染みついていましたし、

科学や先端医学も信じるようになっていました。そのためか、

呪術も陰陽道も、廃れていたのです。

 

従って綱吉が陰陽道に基づいて出した法令を守らなくても、

祟りが起きると思う人はごくわずかでした。そのことが新井

白石の判断に勇気を与え、上司ともいえる徳川家宣も賛同し

たのだと思います。