室町時代といえば幕府及び将軍家が脆弱だったことがよく取
り沙汰されますが、その一方で3代将軍の足利義満の時代の
み史上最強を誇ったともされていますね。足利義満の権力は
徳川家康を超えていたのです。
そんな足利義満の時代にも、反乱はありました。1391年
に山名氏清が起こした明徳の乱と、1399年に大内義弘が
起こした応永の乱です。
特に1399(応永6)年の「応永の乱」は、苦戦したよう
です。
堺の商業権をめぐって大内氏と将軍家は長年争っていたので
すが、この1399(応永6)年の秋、大内義弘は手兵を尽
くして力づくで堺を押さえます。
ただしあらかじめ朝廷の陰陽師がそれを予言していたそうで、
足利義満の対応も早かったということで、義満は大軍を用い
て堺を囲んだということです。それでも大内方の抵抗は激し
かったため、大いに苦戦しました。1カ月以上、全く戦況が
進まなかったそうです。
そこで業を煮やした足利義満が取った作戦が、凄まじいです。
彼は「ありったけの松、竹、ワラを集めよ」と命じ、集まっ
た大量の松と竹と藁をうず高く積ませます。そしてそれらに、
火を点けさせたのです。義満はこの作戦のために、燃え広が
りやすい木々を集めさせたのでした。
狙い通り燃え広がり、手分けして水をかけたくらいでは火事
は収まりません。結局堺は全焼し、大内氏は敗れたというこ
とです。何とも荒っぽい義満の作戦ですが、あまり語られて
いませんね。