源頼朝に決起を促した文覚という僧侶の破天荒さ | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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配流先の伊豆で源頼朝に盛んに決起を促していた文覚という

僧侶がいますが、彼は元々遠藤盛遠(もりとお)という北面

の武士でした。

 

頼朝と同じく伊豆に流されているのですから、罪を犯しては

いるのです。

 

芥川龍之介が『袈裟と盛遠』という小説のモデルにしていま

すが、情痴事件も起こしています。。遠藤盛遠は人妻の袈裟

御前と恋仲になりました。袈裟は盛遠に「夫を殺したくれた

らあなたの妻になります」と言われ、袈裟の夫を殺す決断

をします。

 

決行の日、袈裟は自らの身を隠すためか、男装をして盛遠を

待ったのです。盛遠はそのことを知らず、男装の袈裟御前を

その夫と間違えて殺してしまったのでした。夜の照明が乏し

かったから起きたことでしょう。ただし伊豆への配流は、こ

れが原因とは違います。この時は出家することで、何故か許

されているのです。

 

盛遠は出家し、袈裟御前の霊を弔うために荒行を繰り返して

強い霊感を身に着けたとされています。ただ能力は身に着け

ても、過激な性格は治っていなかったようです。

 

後白河法皇が遊んでいる宴に乗り込み、神護寺再興を促す勧

進帳を読み上げるという騒動を起こしました。これによって

後白河院の怒りを買い、伊豆配流となったのです。

 

配流先の伊豆で同じく配流されている源頼朝と出会い、意気

投合しました。そして、決起を促したのです。すでに文覚と

なっていた彼は、朝廷に恨みがあります。そしてその朝廷と

蜜月となっていた平清盛にも、良からぬ感情がありました。

なので、そういう行動に走ったのです。

 

ただし煮え切らない態度を繰り返す頼朝に対してしびれを切

らした文覚は、またも過激な行動に出ました。頼朝の亡き父

である源義朝の髑髏を見せて、強引に促したのでした。

 

最終的に頼朝が決起を決断したのは妻となった北条政子や北

条家の武士たちにも促されたからですが、文覚の過激な勧め

も影響はしていたでしょう。また文覚は、北条氏ら関東武者

たちにも、決起を促していた可能性が高いです。