信憑性が高い「上杉謙信女性説」!ならば「男性」と偽った理由は? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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これまでにもう何度も取り上げて来た「上杉謙信女性説」の

根拠。それは1つや2つではありません。もう次から次へと

出てきます。否定のしようがないくらいに沢山根拠のあるの

が、「上杉謙信女性説」です。

 

上杉謙信の肖像画には髭があったりするものが多いですが、

あれは全て後世に書き加えられたものです。戦国武将に関し

ては髭がなくても書き加えられるのが習慣なので、肖像画の

髭は全く参考になりません。

 

ただ髭のない上杉謙信の肖像画も、残っています。それが上

にあるものでして、結構「おばさん」っぽいですね(笑)。こ

れが最も当てになると思います。

 

ここで「上杉謙信女性説」の根拠を挙げると長くなり過ぎる

し、過去何回もの記事の繰り返しにもなりますので、省略し

ます。そして逆に女性説が本当だと仮定した場合に、何故偽

ったのか?何故男だという嘘をついたのかについて、見よう

と思います。

 

戦国時代に女性の戦国大名は、結構いました。今川寿桂尼、

富田うねらが代表的です。そして上杉謙信が生前にずっと自

らを男性だと言っていたかが、実は疑問なのです。

 

山形県米沢市の上杉神社には謙信の衣服が保管されています

が、派手で女性ものを思わせる色合いだったり、パッチワー

クで仕上げているものが目立つそうです。また謙信は性愛の

相手が主に男性だった一方で、女性たちを呼んで気軽な世間

話で盛り上がったりはしゃぐことがしばしばあったとも言わ

れます。要するに、自分が女性であることを隠していなかっ

たとも思われるのです。

 

実は戦国時代、女性にも家督相続が認められていました。し

かし徳川家による幕藩体制に入って、変わってしまったので

す。武家諸法度が成立し、「女性城主」が一切禁止されてし

まったのでした。

 

そして上杉家は名門でありながら外様大名であるため、江戸

時代において立場が弱かったのです。そんな上杉家にとって

上杉謙信の偉大さや強さ、勇猛さは数少ない自慢の種で、周

囲に舐められないための糧でもありました。

 

そんな上杉謙信が江戸幕府から認められなくなった「女性城

主」だったことは、伏せたいと藩が考えたとしても、不思議

はありません。

 

そして明治時代に入ると、男尊女卑は加速し、勇ましい女性

に対する価値観が低下するという後進的な発想が多くはびこ

りました。よけいに上杉謙信を強引にでも男性と考える習慣

が定着したのではないでしょうか?