名工にして名匠・左甚五郎の謎 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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複数いた名前、血族に関係ない世襲制度によって複数いた人

物として代表的な例は、忍者の雑賀孫一、商人の茶屋四郎次

郎などがいます。そしてもしかしたらそうではなかったかと

言われる例が、出雲阿国などです。私は武内宿禰もそうだと

思っています。

 

そして他に「もしかしたら・・」に入るかもしれない有名ど

ころとして、名工にして名匠の左甚五郎がいます。

 

日光東照宮の眠り猫、上野東照宮の竜、京都方広寺の鐘楼な

どがとりわけ有名な作品ですが、他にも全国各地に彼の作品

とされる彫刻や建築物が存在しています。

 

ただその作品の存在範囲が広過ぎるだけでなく、制作年代が

約260年に渡っているため、左甚五郎の実在自体が疑われ

ているのです。

 

実際はどうだったのか?一応1594(文禄3)年に生まれ

て、1561(慶安4)年に58歳で死去したという記録は

あるそうです。しかしその死後も彼の作とされる建築物が多

く残っているため、様々な疑問が生じているわけです。

 

恐らく、実在はしたのかと思われます。ただし、1561年

に他界じた人物の他にも、たくさんいたのでしょう。それを

わかりにくくしているのは、茶屋四郎次郎のような世襲制で

はなかったからだと思います。

 

初代も「左甚五郎」は本名でなかったそうなので、その後も

名工、名匠に与えられる称号として「左甚五郎」が存在し続

けたと考えるのが、最も妥当かと思われます。