学習院が江戸時代に天皇が創設したのに私立な理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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江戸時代というか幕末、岩倉具視が賭博場を経営していたの

は、知る人ぞ知るところですが、これは珍しいことでもない

のです。

 

江戸時代は、武士の時代です。天皇家をはじめとする高級貴

族はどうにか公家としての収入だけでも生活出来ましたが、

下級武士となると、公家だけでは生活が出来ません。なので

アルバイトをするわけですが、そうそうあるものでもなかっ

たようです。

 

家庭教師などが当初は主なバイトでしたが、寺子屋が社会に

定着し、その教師を武士や町人がやったため、貴族は家庭教

師のバイトを失います。

 

そのため下級貴族の教養、品格、そして素行がどんどん低下

して行ったのです。ただ一応下級でも公家には治外法権があ

り、武家の役人が所有地には踏み込めなかったそうです。そ

のため賭博場を経営しても、現行犯逮捕されるケースは滅多

になく、岩倉具視のような下級貴族には良い儲け口でした。

 

しかしそれだけに過当競争も凄く、誰でも出来る裏商売では

ありません。なので商才のない下級貴族は、盗みを働いたり、

恐喝で捕まるなど、どんどん素行が落ちるばかり。教養も、

地に落ちて行ったそうです。

 

そんな惨状に頭を痛めた孝明天皇が幕府の了解を得て設立し

たのが、貴族のための学校でした。1847(弘化4)年の

ことです。名前を「学習院」と言いました。そう。今の学習

院の始まりというか、設立です。

 

勿論貴族のための学校なので、由緒ある系譜ではあります。

しかし不良化が加速した貴族のための学校なので、最初はや

はり不良学校でもあったそうです。徐々に、品格が向上して

行ったのです。

 

天皇陛下が設立したのだから、「国立」でもおかしくないは

ずです。しかし当時は武士(幕府)の時代だし、近代教育制

度がなかったため、私学としてスタートしたのです。明治に

なって「官立」となり、教育改革によって民間に渡り、現在

に至っております。